ハインリヒ・フォン・クライスト

原綴
Heinrich von Kleist
生没
1777–1811
出身
フランクフルト・アン・デア・オーダー
ドイツ
時代
古典主義・ロマン主義

生涯

1777年、プロイセンの軍人貴族の家に生まれた。15歳で軍に入り、七年務めた後に除隊する。軍隊の規律への嫌悪が理由だった。

大学で数学と物理を学び、官吏になろうとした。だがこの時期、カントの哲学に触れて深刻な打撃を受ける。人間は事物そのものを認識できず、真理に到達する道はないという理解に達し、学問による確実さの追求を放棄した。この経験は「カント危機」と呼ばれる。婚約者との関係もこの頃に破綻した。

以後、定職に就かないまま各地を移動した。パリ、スイス、ドレスデン、ケーニヒスベルク。戯曲と物語を書き続けたが、上演も出版も思うように進まない。1803年には自作の原稿を焼いている。

1807年、フランス占領下のベルリンでスパイの嫌疑をかけられ、フランス軍に半年間拘留された。ナポレオンへの憎悪はこの経験によって決定的になる。以後、反ナポレオンの愛国的な作品も書いた。

雑誌の刊行を試みたがいずれも短命に終わり、検閲によって廃刊させられた。ゲーテに作品を送って認められようとしたが、ゲーテはクライストを理解せず、『こわれがめ』のワイマール上演も失敗に終わっている。

1811年、経済的にも精神的にも行き詰まったところで、不治の病にあった知人の女性ヘンリエッテ・フォーゲルと合意のうえ、ベルリン郊外のヴァン湖畔で心中した。34歳だった。

作風

クライストの作品では、人が何も理解できないまま破局へ進む。

出発点にあるのは、認識が当てにならないという前提である。登場人物は状況を誤解し、他人の意図を読み違え、自分の内側さえ把握していない。そして誤解が判明したときには、すでに取り返しがつかない。

『O侯爵夫人』の書き出しがその典型にあたる。ある未亡人が新聞に広告を出す。身に覚えがないのに妊娠したので、心当たりのある者は名乗り出てほしい、婚姻に応じる用意がある、と。読者はまだ何が起きたか知らないまま、この異常な事態を突きつけられる。

文体は極度に緊密である。一つの文に従属節が幾重にも積み重なり、事実と状況が圧縮されて詰め込まれる。感情は説明されず、行動と身振りだけが記される。人が卒倒する、顔色が変わる、言葉に詰まる。内面へは踏み込まない。

物語には転換点となる一語や一動作が置かれることが多い。それが全体の意味を反転させ、後戻りを不可能にする。

暴力の扱いも直接的である。虐殺、強姦、私刑が、感傷を交えずに記述される。同時代のドイツ古典主義が調和を目指していたのに対し、この作風は真逆の位置にあった。

論考『マリオネット劇場について』は、意識が身体の優美さを損なうと論じたものである。無意識の操り人形と、意識を突き抜けた神とだけが完全であり、その中間にいる人間は不完全である、という構図が示される。

作品

『こわれがめ』(1808年初演)

喜劇である。村の裁判官が壊れた甕をめぐる訴えを審理するが、実は自分がその犯人だった。追及が自分に迫っていく過程で、この裁判官が言い逃れを重ねる。ドイツ語の喜劇として最も高く評価される作品の一つにあたる。

ミヒャエル・コールハース(1810年)

中篇小説である。馬商人コールハースが、領主に二頭の馬を不当に押収される。正当な手続きで訴え続けるが、どの法廷も相手にしない。彼は武装して私兵を集め、町を焼き、国家を相手に戦争を始める。最後に彼の訴えは認められ、馬は返還される。そして彼自身は騒乱の罪で処刑される。法と正義が一致しないという問題を、極端まで押した作品である。

『O侯爵夫人』(1808年)と『チリの地震』(1807年)も中篇の代表作である。

『ペンテジレーア』(1808年)

悲劇で、アマゾンの女王がアキレウスを愛し、そして犬とともに彼を引き裂いて食う。ゲーテはこの作品に強い拒否を示した。

『ホンブルクの公子』(執筆1811年、初演1821年)

最後の戯曲である。命令に背いて勝利をもたらした公子が、死刑を宣告され、恐怖のあまり命乞いをする。軍人の名誉を扱う劇でありながら、主人公が取り乱す場面を正面から書いたため、プロイセンでは長く上演が難しかった。

『マリオネット劇場について』(1810年)

短い論考である。

日本語ではミヒャエル・コールハースから入るのが読みやすい。筋が明快で、クライストの主題が最も分かりやすい形で出ている。

文学史における立ち位置と影響

クライストは生前ほとんど評価されなかった。ドイツ古典主義とロマン主義のどちらにも属さず、同時代の枠組みに収まらなかったためである。

19世紀後半から評価が始まり、20世紀に入って地位が確立した。今日ではドイツ語散文の最も高い達成の一つとされる。

その文体は、後の作家に直接影響している。カフカはクライストを愛読し、その文章の構造との類縁がしばしば指摘される。事態が説明なく提示され、人物が理由の分からない手続きに翻弄され、感情が記述されないという点が共通する。

ミヒャエル・コールハースは、法と正義の乖離を論じる文脈で繰り返し参照されてきた。法哲学の議論でも引かれ、20世紀にはこれを下敷きにした小説と映画が複数作られている。

演劇史では、心理の説明を排して行動だけで進む劇の先例として位置づけられる。20世紀の演出家がクライストを繰り返し取り上げた。

東ドイツでは、体制に収まらない作家として1970年代以降に再評価が進んだ。クリスタ・ヴォルフがクライストとその周辺の女性たちを主題にした作品を書いている。

日本では森鷗外が早く紹介し、その後も繰り返し翻訳されている。

作品

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