ジョルジュ・サンド

- 原綴
- George Sand
- 生没
- 1804–1876
- 出身
- パリ
- 本名
- アマンディーヌ=オロール=リュシル・デュパン
- 国
- フランス
- 時代
- 19世紀
生涯
1804年、パリに生まれた。本名はオロール・デュパン。父方は貴族の血筋、母方は庶民という、身分の混じった家に育った。父が早くに落馬で死に、祖母のもとで、中部フランスのノアンの領地で育っている。この土地の農村が、後の田園小説の舞台になる。
18歳で男爵と結婚し、二児をもうけたが、結婚生活に馴染めず家を出た。当時のフランスでは離婚が認められておらず、サンドは法的な別居と、自分の財産の管理権を勝ち取っている。これは当時の女性としては例外的だった。
パリで文筆によって生計を立てる道を選ぶ。1832年のアンディアナが成功し、職業作家として自立した。「ジョルジュ・サンド」という男性名で書いたのは、当時、出版界も批評界も男性のもので、女性名の作品は軽く扱われたためである。男装して街を歩いたことでも知られる。女性の服装では入れない場所へ行けるという実際的な理由も語られている。
恋愛を隠さなかった。詩人ミュッセとの関係、作曲家ショパンとの9年間の関係はよく知られている。この生涯があまりに語られたため、長く作品より私生活が話題になる状態が続いた。
1848年の二月革命に共感し、臨時政府のために宣伝文書を書いた。革命が挫折した後はノアンに戻り、田園小説を書いている。1876年、71歳で死去した。
作風
サンドの作品は、大きく三期に分かれる。
恋愛小説期(1830年代)のアンディアナレリアなどでは、結婚制度のなかで女性が置かれる不自由を正面から扱った。当時としては挑発的で、離婚の権利や女性の自立を主張する内容と読まれている。
社会小説期(1840年代)には共和主義と社会主義に接近し、労働者や民衆を主題にした作品を書いた。
田園小説期(1840年代後半以降)には、故郷ベリー地方の農村を舞台に、素朴な人々の生活と方言を書いた。政治への失望の後、素朴な世界へ向かった時期である。
この三期を通じて、女性の生き方への関心は一貫している。結婚に縛られる女、才能を持ちながら社会に阻まれる女が、繰り返し登場する。日本では田園小説が最もよく知られており、教育的な読み物として訳され、児童向けの版も多い。
作品
アンディアナ(1832年)
出世作である。不幸な結婚に閉じ込められた女性を描き、離婚と女性の自立を主張する内容と読まれた。
レリア(1833年)
女性の欲望と幻滅を扱い、当時激しい非難を浴びた。
コンシュエロ(1842〜43年)
才能ある歌手を主人公にした長篇である。
魔の沼(1846年)
田園小説の代表作で、中部フランスの農村の結婚を簡潔な文体で描く。
愛の妖精(1849年)
双子の兄弟と、村で疎まれる少女の物語である。
自伝である。
文学史における立ち位置と影響
サンドは、女性が職業作家として自立できることを実例で示した。生涯に70篇を超える長篇を書き、演劇・評論・書簡を残している。19世紀フランスで最も多作かつ最も読まれた作家の一人である。
評価は大きく変動してきた。19世紀後半から20世紀にかけて、田園小説の素朴さが単純と見なされ、「教科書のなかの作家」として文学的な評価が下がった。これを変えたのが20世紀後半のフェミニズム批評である。女性の自立、結婚制度への批判、職業作家としての実践が、改めて主題として読まれるようになった。現在は19世紀フランス文学の主要な作家の一人として再評価が進んでいる。ただしバルザックやフローベールと同格に扱うかについては議論がある。
同時代の男性作家からの評価は割れていた。ボードレールは激しく罵倒する文章を残している。一方、フローベールとは終生の友人であり、二人の往復書簡は文学の資料として重要である。方法も思想も正反対の二人が、互いを尊重して議論を続けた記録になっている。
国外での影響も大きい。ドストエフスキーが若い頃に熱心に読み、その死に際して追悼文を書いた。ロシアにおける受容はとくに大きい。日本でも明治以降に紹介され、女性の自立を論じる文脈でしばしば言及された。