ミハイル・レールモントフ

- 原綴
- Михаил Лермонтов
- 生没
- 1814–1841
- 出身
- モスクワ
- 国
- ロシア
- 時代
- 黄金時代
生涯
1814年、モスクワに生まれた。幼くして母を失い、裕福な祖母に引き取られて育った。父との仲は引き離され、この孤独が生涯の気質を作った。カフカスの温泉地で過ごした少年期の記憶が、後の作品に繰り返し現れる。
モスクワ大学に学んだが中退し、近衛騎兵の士官学校へ移った。軍人として勤務するかたわら、詩を書いている。
1837年、プーシキンが決闘で死んだ。レールモントフは、その死を悼み、宮廷と社交界を糾弾する詩「詩人の死」を書く。プーシキンを死に追いやったのは上流社会そのものだ、という激烈な内容だった。この詩は写本で広まり、レールモントフの名を一躍高めると同時に、皇帝の怒りを買った。ほどなくカフカスの前線へ左遷される。
以後、二度にわたってカフカスへ送られた。当時、ロシアは山岳民族との戦争を続けており、その地が舞台になる。この体験が、詩と小説の素材になった。
1840年、フランス人との決闘によって、再びカフカスへ送られる。そして1841年、温泉地ピャチゴルスクで、かつての学友マルティノフと口論の末に決闘となり、撃たれて死んだ。二十六歳だった。プーシキンと同じく、決闘で若い生涯を終えている。
作風
レールモントフが繰り返し書いたのは、社会にも自分にも背を向ける人物である。その造形はバイロンの影響から出発している。孤高で、情熱的で、社会を軽蔑し、しかし満たされない。この「バイロン的英雄」を、レールモントフはロシアの現実のなかに置き直した。
詩では、その反逆と孤独が、激しい調子で歌われる。「悪魔」は、天から追放された堕天使が、地上の乙女に恋する長編詩である。愛によって救われることを願いながら、その本性ゆえに、愛する相手を破滅させてしまう。孤独な反逆者の悲劇が、壮大なイメージで描かれる。
小説『現代の英雄』では、方法が変わる。主人公ペチョーリンは、有能で、魅力的で、聡明である。だが、何にも本気になれない。人を愛することも、生きる目的を持つこともできない。退屈しのぎに他人の運命をもてあそび、女を誘惑して破滅させ、そのことを自分でも空しく感じている。
この小説は、五つの中篇を組み合わせた構成をとる。時系列を入れ替え、複数の語り手を通じて、少しずつペチョーリンの姿を明らかにしていく。とくにペチョーリン自身の手記の部分では、自分の心理を冷徹に分析してみせる。自分がなぜこうなのかを、自分で解剖するように語る。この自己分析の精密さが、ロシア心理小説の出発点になった。
序文でレールモントフは、ペチョーリンは一人の人間ではなく、その時代の悪徳を集めて作った肖像だ、と述べている。「現代の英雄」という題は、皮肉である。
作品
「詩人の死」(1837年)は、プーシキンの死を悼み、社会を糾弾した詩である。作者の運命を変えた作品にあたる。
「悪魔」は、堕天使の愛と孤独を描いた長編詩である。
「ムツィリ」は、修道院から脱走した青年が、三日間の自由の後に死ぬまでを描く長編詩である。
『現代の英雄』(1840年)
代表作である。ペチョーリンという人物を通じて、時代の精神を描いた小説にあたる。
抒情詩も多く残し、「帆」などが広く知られる。
日本語では『現代の英雄』が読める。詩の抄訳もある。
文学史における立ち位置と影響
レールモントフは、プーシキンの後を継ぐ、ロシアの詩人とされる。二人はしばしば並べて語られ、ともに決闘によって若くして死んだことも、その像を結びつけている。
詩人としては、プーシキンの明晰さに対し、より暗く、激しく、内面的である。その孤独と反逆の調子は、ロシア詩の一つの系譜を作った。
散文における功績も、それに劣らず大きい。『現代の英雄』は、ロシア心理小説の先駆とされる。人物が自分の心理を分析するという方法は、ドストエフスキーやトルストイの心理描写へつながっていく。チェーホフは、この小説の文章を、ロシア散文の模範として絶賛した。
「余計者」の系譜のなかにも位置づけられる。プーシキンのエヴゲーニイ・オネーギンのオネーギンに続き、ペチョーリンは、有能でありながら生きる目的を持てない人物の典型になった。この系譜は、ツルゲーネフ、ゴンチャロフへと続く。
「バイロン的英雄」のロシアにおける展開としても重要である。バイロンの人物像を受け継ぎながら、それをロシアの社会状況のなかで、より深い心理的なリアリティを持つものに変えた。
二十六歳での早い死により、その仕事は限られている。それでも、詩と散文の両方で、ロシア文学の礎を築いた一人とされる。
日本での受容は、『現代の英雄』の翻訳を通じて進んだ。「余計者」を描いた作品として、ロシア文学の系譜のなかで読まれている。