ヴィクトル・ユゴー

- 原綴
- Victor Hugo
- 生没
- 1802–1885
- 出身
- ドゥー県ブザンソン
- 国
- フランス
- 時代
- 19世紀
生涯
1802年、東部の都市ブザンソンに生まれた。父はナポレオン軍の将軍で、任地を転々としたため、幼少期にイタリアやスペインで暮らしている。母は王党派で、父と政治的に対立していた。両親の不和のなかで育ち、若い頃は母の影響で王党派、後に共和派へ移る。
10代から詩で頭角を現し、20歳で第一詩集を出した。1827年、戯曲『クロムウェル』に長い序文を付し、ここで古典主義への攻撃を行って、若い作家たちの理論的な旗印になった。1830年には、戯曲エルナニの初演が劇場での騒乱に発展する。古典主義を守ろうとする観客と、ユゴーを支持する若者が客席で衝突し、上演のたびに繰り返された。「エルナニ合戦」と呼ばれるこの騒ぎで、17世紀以来の演劇の規則は事実上効力を失う。
1843年、結婚したばかりの長女レオポルディーヌが、セーヌ川で夫とともに溺死した。この死がその後の詩を大きく変え、10年以上を経て静観詩集に結実する。
政治家としても活動した。当初はナポレオン三世(ルイ=ナポレオン)を支持したが、1851年のクーデタに反対して敵に回る。国外へ脱出し、以後19年間の亡命生活に入った。ベルギーを経てイギリス領のジャージー島、ガーンジー島に住み、政権への攻撃を書き続ける。恩赦が出ても帰国を拒み、「自由が戻るときに私は戻る」という趣旨の返答をしている。レ・ミゼラブル(1862年)はこの亡命中に完成した。
1870年に第二が崩壊すると帰国し、国民的な歓迎を受ける。晩年は共和国の象徴的存在になった。1885年、83歳で死去。国葬が行われ、200万人が沿道に出たと伝えられる。遺体はパンテオンに納められた。
作風
ユゴーが『クロムウェル』序文で主張したのは、崇高とグロテスクを同じ作品に入れることである。古典主義は美しく高貴なものだけを選び、醜いもの滑稽なものを排除した。だが自然は両方を混ぜている。したがって文学もそうすべきだ、という論理をとる。
この主張は作品で実行された。ノートル=ダム・ド・パリの主人公は、背中が曲がり片目が潰れた鐘つきのカジモドである。醜い者を主役に据え、その内面を美しく書くという配置そのものが、序文の主張の実演になっている。
対比が構図の基本にある。美と醜、光と闇、聖職者と娼婦、法と憐れみ。レ・ミゼラブルでは、パンを盗んだ男ジャン・ヴァルジャンと、法を絶対とする警官ジャヴェールが最後まで対立する。どちらも自分の正しさに従っているという設定であり、単純な善悪ではない。
長い脱線を挟むのも特徴である。レ・ミゼラブルには、ワーテルローの戦い、パリの下水道の歴史、修道院の制度といった章が、本筋を止めて数十ページ続く。筋書きを効率よく運ぶことより、社会全体を見せることを優先している。修辞は誇張的で、同じ内容を言い換えて重ねる。演説に近い調子であり、この点は同時代から批判もあった。
作品
エルナニ(1830年)
上演が騒乱を引き起こした戯曲である。時と場所の一致という古典主義の規則を無視し、韻文の切り方も従来の作法を破っている。作品の中身より、上演が引き起こした事件のほうが文学史に残った。
ノートル=ダム・ド・パリ(1831年)
15世紀のパリが舞台である。醜い鐘つきカジモド、ジプシーの娘エスメラルダ、その娘に執着する助祭長を軸に進む。この小説は現実の建築を救った。当時、大聖堂は荒廃して取り壊しも検討されていたが、作品の反響が世論を動かし、大規模な修復事業につながっている。
レ・ミゼラブル(Les Misérables)(1862年)
代表作である。パン一斤を盗んで19年服役したジャン・ヴァルジャンが、司教の慈悲によって人生をやり直し、追う警官ジャヴェールと対峙し続ける。貧困、司法、革命、少年の孤児が絡む。各国語版がほぼ同時に出て、19世紀としては異例の国際的ベストセラーになった。
静観詩集(1856年)
亡くなった娘レオポルディーヌを中心に置いた詩集である。死の前と後で二部に分かれる構成をとり、個人の喪失を主題にした詩としてフランス詩の代表作の一つに数えられる。
諸世紀の伝説(1859年〜)
人類の歴史を詩で描こうとした連作である。
文学史における立ち位置と影響
ユゴーは、フランスにおける古典主義の終わりを実際に決着させた人物である。17世紀以来、フランスの演劇には「時・場所・筋の一致」という規則があった。劇の出来事は1日以内、1か所で、一つの筋で進めなければならない。これを守ることが正しい劇の条件とされてきた。1830年のエルナニ合戦で、この規則は擁護できなくなる。ロマン主義が古典主義に勝った瞬間として、文学史で必ず言及される。
活動の幅と期間も突出している。詩・小説・戯曲のすべてで代表作を持ち、20歳から80歳過ぎまで書き続けた。ロマン主義の旗手として出発し、ゾラら自然主義の世代に囲まれて死んでいる。一人の作家が一つの世紀をほぼまるごと覆った例として例外的である。
社会問題を小説の主題にした点も大きい。貧困・死刑・司法の不備を扱い、『死刑囚最後の日』では死刑制度を正面から批判した。文学が社会を変える手段になりうるという考え方は、後の社会派の小説に受け継がれている。
レ・ミゼラブルは今日、原作を読んでいない層にも届いている。ミュージカル版と映画が世界各地で上演・公開され続けており、作品が原作の読者数をはるかに超えて流通している例になっている。
日本では黒岩涙香が『噫無情』の題で翻案し、1902年から新聞に連載した。同じ涙香がデュマのモンテ・クリスト伯を『巌窟王』として訳しており、明治期のフランス大衆小説の受容は、この人物を経由している部分が大きい。