ドン・ジュアン

原題
Dom Juan ou le Festin de pierre
作者
モリエール
成立
1665
フランス
時代
17世紀

概要

1665年2月に初演された五幕の喜劇である。当時の正式な劇は韻文で書かれたが、この作品は散文で書かれている。

主人公ドン・ジュアンはスペインの貴族である。妻を修道院から連れ出して捨て、次の女に手を出し、借金取りを追い返し、父の説教を聞き流す。神も罰も信じていない。

物語の型は当時すでに広く知られていた。スペインのティルソ・デ・モリーナが1630年ごろに書いた劇が最初とされ、イタリアの一座を経てフランスに入っていた。自分が殺した男の石像を晩餐に招き、その石像が実際に現れて放蕩者を地獄に連れていく、という筋である。

モリエールはこの型を使いながら、中身を入れ替えた。とくに第五幕で、ドン・ジュアンが突然「信心家になる」と宣言する場面が加えられている。

初演は評判を呼んだが、十五回で打ち切られた。以後モリエールの生前に再演されず、原文のまま印刷されたのも死後十年を経てからである。

前年の1664年、モリエールタルチュフが上演禁止になっていた。偽の信心家を扱った作品で、教会側の反発が強く、モリエールの一座は主要な演目を失った。この作品はその穴を埋めるために書かれたとみられる。

だが結果はさらに悪かった。初演から評判を呼び、劇場は満員になったが、無神論者の台詞や、物乞いに冒涜を強いる場面が問題視された。十五回の上演で打ち切られ、以後モリエールの生前に再演されていない。

刊行にも制限がかかった。モリエールの死後、1682年に全集が出たとき、この作品は問題のある台詞を削った形でしか収められなかった。翌年には韻文に書き直された版が作られ、以後はそちらが上演された。

削られていない原文が印刷されたのは、1683年にアムステルダムで出た版である。フランスでこの形が上演されるようになるのは20世紀に入ってからで、1947年のルイ・ジューヴェによる上演が転機とされる。

文学史における評価と影響

ドン・ジュアンの型が広まる過程で、この作品が中心的な位置を占める。以後、モーツァルトのオペラ『ドン・ジョヴァンニ』、バイロンの詩、キルケゴールの論、そのほか多数の作品がこの人物を扱った。

モリエールの改変で最も大きいのが第五幕である。それ以前のドン・ジュアン劇では、主人公は最後まで放蕩者のまま罰を受ける。モリエールはそこに、偽の信心という段階を加えた。ドン・ジュアンは改心したふりをして、それが最も安全だと説明する。

この場面で、作品の批判の対象が変わる。放蕩そのものより、体面のために信心を装う社会が標的になる。前年に禁止されたタルチュフと同じ主題が、別の形で戻ってきている。

散文で書かれたことも例外にあたる。当時、格の高い劇は韻文で書くのが規則だった。散文にしたことで、身分の違う人物の話し方の差が書き分けられる。農民のピエロとシャルロットは方言で話す。

スガナレルの位置も論じられる。従者は主人の悪事を非難するが、その論拠は支離滅裂で、説教の途中で転ぶ。道徳の側に立つ人物が滑稽に書かれているため、作品がどちらの側に立っているかが定まらない。この曖昧さが、当時の非難と、後世の評価の高さの両方の理由になっている。

あらすじ

第一幕。従者スガナレルが、嗅ぎ煙草の効能を長々と褒める。そこへ、捨てられた妻ドンナ・エルヴィールの従者が現れる。スガナレルは主人について語る。自分の主人は世にも稀な悪党で、天も地も何も信じない、と。

ドン・ジュアンが現れる。次の女を追って船で出るところである。エルヴィールが来て詰め寄る。ドン・ジュアンは、修道院から連れ出したことが良心に引っかかったので返した、という理屈で応じる。

第二幕。海辺。ドン・ジュアンの船が転覆し、農民ピエロに助けられる。ドン・ジュアンはピエロの許嫁シャルロットを口説き、結婚を約束する。そこへ別の農民の娘マチュリーヌが来る。こちらにも同じ約束をしていた。二人が同時に問い詰めると、ドン・ジュアンはそれぞれの耳元で、相手のほうが勘違いしていると囁き、両方を納得させる。

第三幕。追手を避けて森を行く。物乞いに出会い、道を教えてもらう。ドン・ジュアンは金貨を差し出し、神を冒涜する言葉を言えば渡すと持ちかける。物乞いは断る。ドン・ジュアンは結局、人間愛のために、と言って金貨を投げ与える。

森で、ドン・ジュアンは襲われている男を助ける。相手はエルヴィールの兄ドン・カルロスだった。カルロスは妹の恨みを晴らすため、ドン・ジュアンを探していた。命を救われた以上すぐには斬れないと言い、決着を先送りする。

一行は墓所に入る。ドン・ジュアンがかつて決闘で殺した騎士長の墓があり、立派な石像が立っている。ドン・ジュアンは面白がって、石像を晩餐に招く。スガナレルが渋々伝えると、石像がうなずく。

第四幕。ドン・ジュアンの屋敷。借金取りのディマンシュ氏が来る。ドン・ジュアンは大げさに歓待し、体調を気遣い、家族のことを尋ね、一銭も払わずに帰らせる。

父ドン・ルイが来て、貴族の生まれとは名ばかりで行いが伴わないと説教する。ドン・ジュアンは、椅子にかけて話されてはいかがですか、とだけ答える。

エルヴィールが修道女の姿で現れ、悔い改めるよう懇願して去る。

晩餐の席に石像が来る。石像は、明日は自分のところへ来るかと問う。ドン・ジュアンは承知する。

第五幕。ドン・ジュアンが父の前で、自分は改心した、これからは信心の道を歩むと宣言する。父は喜んで去る。

二人になると、ドン・ジュアンはスガナレルに種明かしをする。信心を装うのが最も得だ、と説明する。世の中には同じことをしている者が大勢いる。仮面をかぶれば、何をしても誰も咎めない。かえって守ってくれる者が出てくる。

そこへ、姿の見えない亡霊が現れて警告する。ドン・ジュアンは剣で斬りつける。

石像が現れ、手を差し出す。ドン・ジュアンが握ると、雷が落ち、地が割れて呑み込まれる。

一人残されたスガナレルが叫ぶ。全員が満足した、天も、法も、捨てられた女たちも、家族も。私だけが給金をもらっていない。この一言で幕が下りる。

作者

登場する文学史