島崎藤村

- 原綴
- Shimazaki Tōson
- 生没
- 1872–1943
- 出身
- 筑摩県馬籠宿(現・岐阜県中津川市馬籠)
- 本名
- 島崎春樹
- 国
- 日本
- 時代
- 近代
生涯
1872年、木曾街道の馬籠宿(現在の岐阜県)の旧家に生まれた。代々、宿場の当主を務めた家である。父は熱心な国学者だったが、明治維新後の変化に理想を裏切られ、最後は座敷牢で狂死した。この父の生涯が、後の最高作夜明け前の題材になる。
上京してキリスト教の洗礼を受け、明治女学校で教えた。このころ教え子への恋に苦しみ、職を辞して漂泊する。若い日の煩悶が、最初の詩集を生んだ。詩人として出発したが、やがて散文へ転じる。貧困と、幼い娘たちを相次いで亡くす苦難のなかで、小説破戒を自費出版し、小説家としての地位を得た。
私生活の醜聞をも作品にした。妻の死後、姪との間に関係を持ち、その事実を小説『新生』として発表している。当事者を社会的に追い込むこの行為は、当時から強く批判された。晩年は大作夜明け前に取り組み、1943年、71歳で死去した。
作風
藤村の経歴の中心には、「詩から散文へ」という転換がある。出発は詩だった。詩集若菜集は、文語の七五調で恋と青春を歌い、近代日本の抒情詩の最初期の成果とされる。「まだあげ初めし前髪の」の一節が広く知られる。だが藤村は詩を捨て、小説へ移った。
日本の自然主義文学の中心的な書き手になったが、そこで書いたのは社会全体ではなく、自分自身と一族の過去だった。差別、姦通、父の狂死という、身辺のもっとも重い事実を、隠さず材料にする。「事実をありのままに書く」姿勢を、自分の生涯に向けて徹底したのである。
対象は、告白から歴史へと広がっていった。初期は自身と家族を書き(『春』『家』『新生』)、最後の夜明け前では、父をモデルにした人物を通して幕末から明治初年の歴史そのものを書いた。個人の告白の作家が、日本の近代化とは何だったかを問う作家へと変わっていく。
作品
若菜集(1897年)
最初の詩集で、近代抒情詩の出発点とされる。
破戒(1906年)
最初の小説である。被差別部落出身であることを隠して教師になった青年が、隠し続けるか告白するかで苦しむ。日本の近代小説が社会的差別を正面から扱った最初期の作品とされる。ただし、主人公が最後にテキサスへ渡るという結末には、問題の解決になっていないという批判が当初からある。
新生(1918〜19年)
姪との関係とその子の出産を書いた告白小説である。書くことが他人の人生を損なうという私小説の問題が、最も鮮明に出た例として論じ続けられている。芥川龍之介が厳しく批判した。
夜明け前(1929〜35年)
最後の長篇にして最高作である。父をモデルにした青山半蔵——王政復古に理想を託し、来た明治国家に裏切られ、狂って座敷牢で死ぬ国学者——を通して、幕末から明治への激動を描く。「木曾路はすべて山の中である」の冒頭で知られる。
文学史における立ち位置と影響
藤村は日本の自然主義の出発点に立つ。破戒と、田山花袋の蒲団(1907年)が、日本の自然主義の起点として並べられる。
ただし、フランスの自然主義とは中身が違う。ゾラの自然主義は、遺伝と環境が人間を決定するという枠組みを立て、社会全体を対象にした。日本の自然主義は、そこから「事実をありのままに書く」という部分だけを取り、対象を自分の身辺に絞った。その結果生まれたのが「私小説」——作者自身の生活と秘密を材料にする形式である。藤村はこの流れの中心にいて、自分の生涯を材料にし尽くした。
「私小説の問題」を、身をもって示した作家でもある。『新生』が姪を追い込んだように、告白が他者を傷つける——書く自由と、書かれる者の尊厳との衝突が、この作家に凝縮している。一方、告白から歴史へ抜け出た夜明け前は、その私小説の枠を自ら越えた達成として、藤村の最高作とする評価が一般的である。著作権保護期間は満了している。