アレクサンドル・グリボエードフ

原綴
Александр Грибоедов
生没
1795–1829
出身
モスクワ
ロシア
時代
黄金時代

生涯

1795年、モスクワの貴族の家に生まれた。並外れた秀才で、モスクワ大学に、極めて若くして入学した。複数の学部で学び、いくつもの外国語に通じた。音楽の才能もあり、自らワルツを作曲している。

ナポレオン戦争に、軍人として従軍した。戦後、外務省に入り、外交官になる。

外交官として、ペルシア(イラン)方面を担当した。ロシアとペルシアの関係を扱う、重要な任務である。この職務のかたわら、彼は、喜劇『知恵の悲しみ』を書き上げた。1824年頃のことである。

だが、この作品は、あまりに鋭い社会諷刺を含んでいたため、検閲によって、上演も出版も、許されなかった。作品は、無数の手書きの写本となって、地下で、広まった。数万部が、手で書き写されて、流通したと伝えられる。公式には存在しないのに、誰もが知っている作品、という、異例の状況が生まれた。

1828年、ロシアとペルシアの講和条約の締結に、外交官として貢献した。その功績によって、ペルシア駐在の全権公使に任じられる。

だが、1829年、テヘランのロシア公使館が、暴徒に襲撃された。反ロシア感情が高まるなかでの事件だった。グリボエードフは、公使館を守ろうとして、群衆に惨殺された。三十四歳だった。遺体は、ひどく損傷し、身元の確認も困難だったと伝えられる。ちょうど、外交官としても、作家としても、これからという、若さでの悲劇的な死だった。

作風

グリボエードフの名は、ただ一つの作品、『知恵の悲しみ』とともにある。

この喜劇は、外国から帰ってきた、聡明で理想に燃える青年チャツキーが、モスクワの上流社会に、幻滅する物語である。彼は、その社会の俗物性、偽善、追従、そして無知を、鋭く批判する。だが、彼の真剣な言葉は、誰にも理解されない。それどころか、周囲は、彼を、狂人だと噂しはじめる。愛する女性にも、拒まれる。結局、チャツキーは、その社会に、居場所を見出せず、去っていく。

題名の「知恵の悲しみ」が、主題を、そのまま示している。知恵があり、真実を語る者が、かえって、社会から、疎まれ、傷つく。賢いことが、幸福ではなく、悲しみをもたらす。この聡明な個人と、愚かな社会との対立が、作品の核にある。チャツキーは、「余計者」の系譜の先駆的な人物とされる。

その最大の魅力は、言葉である。グリボエードフは、この喜劇を、韻文で書いた。その台詞は、機知に富み、警句的で、切れ味が鋭い。あまりに見事なため、その多くが、そのまま、ことわざとして、ロシア語に定着した。ある批評家は、この作品の台詞の半分がことわざになった、と評した。ロシア人は、日常の会話のなかで、意識せずに、この作品の一節を、引用している。

社会諷刺の鋭さも、際立っている。当時のモスクワ貴族社会のあらゆる型の人物——追従家、権力志向の俗物、噂好き、頑迷な保守——が、生き生きと、そして辛辣に、描かれる。この諷刺の鋭さゆえに、作品は、検閲によって、長く封じられた。

作品

『知恵の悲しみ』(1824年頃完成、全編の公刊は1861年)

唯一の代表作である。ロシア古典喜劇の最高峰とされる。四幕の韻文喜劇にあたる。

その他に、初期の喜劇や、詩、書簡が残っているが、いずれも、『知恵の悲しみ』の影に隠れている。

日本語では『知恵の悲しみ』が読める。

文学史における立ち位置と影響

グリボエードフは、ただ一つの作品によって、ロシア文学史に、不滅の地位を占める。『知恵の悲しみ』は、プーシキンエヴゲーニイ・オネーギン、フォンヴィージンの喜劇と並んで、ロシア古典文学の礎の一つとされる。

ロシア演劇史における位置は、決定的である。それ以前のロシア喜劇が、多く、外国の翻案だったのに対し、『知恵の悲しみ』は、完全にロシアの社会を、ロシアの言葉で描いた。ロシア独自の社会諷刺喜劇の出発点になった。この伝統は、ゴーゴリの『検察官』、オストロフスキーの諸作へと、受け継がれていく。

主人公チャツキーは、「余計者」の系譜の先駆にあたる。聡明でありながら、社会に容れられず、行き場を失う人物。この型は、プーシキンのオネーギン、レールモントフのペチョーリンへと、続いていく。ロシア文学の重要な人物類型の最初期の一人である。

台詞がことわざになったという事実は、その言葉の力を、何よりも示している。文学作品の言葉が、これほど深く、民族の日常言語に、溶け込んだ例は、クルイロフの寓話と並んで、まれである。

たった一作で、これほどの地位を占めるという点でも、特異な作家である。若くして、悲劇的な死を遂げたため、その才能の全貌は、示されないままに終わった。その早世が、この作家を、いっそう、伝説的な存在にしている。

日本での受容は限られてきたが、ロシア古典喜劇の代表として、文学史のなかで紹介されている。

登場する文学史