イワン・クルイロフ
- 原綴
- Иван Крылов
- 生没
- 1769–1844
- 出身
- モスクワ
- 国
- ロシア
- 時代
- 近代以前
生涯
1769年、モスクワの貧しい下級軍人の家に生まれた。父の死後、家はさらに困窮し、クルイロフは、ほとんど正規の教育を受けられなかった。少年時代から、役所で働いて、家計を助けた。
若い頃は、劇作家、そして風刺雑誌の編集者として活動した。当時の社会や、権力者を、鋭く諷刺したため、当局とのあいだに、軋轢を生んだ。雑誌は、たびたび、圧力を受けて廃刊になった。しばらく、文筆から離れ、各地を放浪した時期もある。
四十歳近くになって、寓話に、その天職を見出した。1809年、最初の寓話集を出す。これが、大きな成功を収めた。以後、クルイロフは、生涯にわたって、寓話を書き続ける。二百篇あまりを残した。
寓話作家として、クルイロフは、国民的な名声を得た。その作品は、あらゆる階層の人々に、愛された。皇帝から、農民まで、誰もが、その寓話を知っていた。晩年は、帝室図書館に勤めながら、穏やかに過ごした。大食漢で、無精な、愛すべき人物として、多くの逸話が残っている。1844年、七十五歳で死去した。その葬儀には、大勢の人々が集まり、国民的な詩人の死を悼んだ。
作風
クルイロフの寓話は、動物に仮託して、人間と社会を諷刺する。
寓話という形式自体は、古代ギリシャのイソップに始まり、フランスのラ・フォンテーヌによって、洗練された。クルイロフは、初期には、ラ・フォンテーヌの寓話を、翻案することから始めた。だが、次第に、独自の作品を作るようになる。彼の寓話は、翻案の域を超えて、完全にロシアのものになった。
その最大の特徴は、言葉である。クルイロフは、生きた、ロシアの民衆の話し言葉で、寓話を書いた。俗語、ことわざ、日常の言い回しが、生き生きと用いられる。この土のついた、たくましい言葉が、その寓話に、比類のない魅力を与えている。登場する動物たちは、ロシアの民衆そのものの口調で、話す。
諷刺の対象は、多岐にわたる。役人の腐敗、権力者の横暴、愚かさ、虚栄、怠惰。人間のあらゆる欠点と、社会のあらゆる不正が、動物たちの姿を借りて、笑いのなかで暴かれる。強い者が、弱い者を、力で押さえつける。「狼と子羊」では、狼が、子羊を食う口実を、次々にでっち上げる。結論は、「強い者にとっては、常に、弱い者が悪いのだ」。この権力の本質への辛辣な洞察が、動物の物語のなかに、込められている。
教訓は、押しつけがましくない。クルイロフは、物語を語り、そこから、軽やかに、教訓を引き出す。その教訓の一句一句が、あまりに的確で、覚えやすいため、そのまま、ことわざとして、ロシア語のなかに、定着した。
作品
寓話集は、1809年の最初の刊行以来、版を重ねた。生涯に、二百篇あまりの寓話を残している。
「蜻蛉と蟻」は、夏に歌って過ごした蜻蛉が、冬に困窮する話である。ラ・フォンテーヌの翻案だが、ロシアの寓話として定着した。
「狼と子羊」は、権力の理不尽を諷刺した、代表作である。
「四重奏」は、猿、驢馬、山羊、熊が、楽団を組もうとして、うまくいかず、座る位置ばかりを気にする話である。無能な者が、責任を、道具や配置のせいにする愚かさを、諷刺する。
「白鳥、カワカマス、蟹」は、三者が、別々の方向へ荷車を引こうとして、車が動かない話である。協力の欠如を諷刺する。
日本語では寓話集の訳がある。
文学史における立ち位置と影響
クルイロフは、ロシアで最も愛される寓話作家である。「ロシアのイソップ」とも呼ばれる。
その最大の功績は、生きたロシア語を、文学に定着させたことである。カラムジンが、上品で優雅な文章語を作ったのに対し、クルイロフは、民衆のたくましい話し言葉を、文学の言葉にした。プーシキンは、クルイロフを、真に民衆的な詩人として、高く評価した。その言葉の民衆性は、後のロシア文学の一つの源流になった。
寓話の一句が、ことわざになったことは、その浸透の深さを示す。ロシア人は、日常の会話のなかで、しばしば、クルイロフの寓話の一節を、引用する。多くの人が、その出典を意識せずに、彼の言葉を使っている。文学作品の言葉が、これほど、民族の日常言語に、溶け込んだ例は、まれである。
諷刺の精神も、受け継がれた。動物に仮託して、権力や社会を批判するという方法は、検閲のもとで、危険な内容を語るための有効な手段だった。この寓話による諷刺の伝統は、ロシア文学に、長く生き続けた。
国民的な作家として、その地位は、揺るがない。子どもから大人まで、あらゆるロシア人が、その寓話とともに育つ。ペテルブルクの夏の庭園には、その記念像が立ち、子どもたちに親しまれている。
日本での受容は、寓話集の翻訳を通じて進んだ。イソップやラ・フォンテーヌと並ぶ、寓話の古典として紹介されている。