浮雲

作者
二葉亭四迷
成立
1887-1889
日本
時代
近代

概要

日本で最初に、話し言葉で書かれた小説である。それまで小説の地の文は文語だった。「である」「だ」「した」で書くことを、この作品が始めた。

主人公内海文三は役所に勤める青年である。ある日、免職になる。 理由ははっきりしない。上役への付き合いが下手だった、というだけである。

これで文三の立場が崩れる。下宿しているのは叔母の家で、その娘お勢と結婚する話が進んでいた。職を失った途端、叔母の態度が変わる。そして同僚の本田昇——世渡りが上手く、上役に取り入って昇進した男——がお勢に近づく。

事件はこれだけである。文三は抗議もせず、行動も起こさない。部屋にこもって考え続ける。

この作品が新しかったのは、その考え続ける中身を全部書いたことにある。お勢は自分をどう思っているのか。昇に負けたのか。自分は正しいのか、ただ無能なのか。同じことを何度も往復し、結論が出ない。 決心してはすぐに崩れる。

未完である。三篇まで書かれ、そこで止まっている。二葉亭四迷は自分の書いたものに納得せず、以後十数年、小説を書かなかった。

書くために、ロシア語の小説を訳しながら日本語を作った。二葉亭はロシア文学の翻訳者でもあり、ツルゲーネフを訳す作業のなかで口語の文体を鍛えている。その訳文「あひゞき」は、後の作家に大きな影響を与えた。

文学史における評価と影響

日本最初の近代小説とされる。

言文一致の実験としての意義が最も大きい。話し言葉で小説を書けるかどうかは、当時、本気で疑われていた。 文語は格式があり、口語は卑俗だとされていた。二葉亭は落語家の三遊亭円朝の口演の記録を参考にしたと述べている。

内面を書くという方法も、ここで始まった。それまでの小説は、人物が何をしたかを書く。この作品は、何もしない人物が何を考えたかを書く。 事件が起こらないぶん、意識の動きが前に出る。

主人公の造形も新しい。文三は正しさを主張できるだけの根拠を持たない。世渡り下手なのか、それとも本当に無能なのか、本人にも分からない。 この宙吊りが、以後の日本の小説に繰り返し現れる人物の型を作った。

未完に終わったこと自体が象徴的に語られてきた。二葉亭は、自分の文章がロシア文学の水準に届かないと考えていた。日本語で近代小説を書くことの困難が、この中断に現れている。

坪内逍遥が『小説神髄』で理論を書き、二葉亭がそれを実作でやってみせた、という関係でしばしば説明される。ただし二葉亭は逍遥の理論に満足しておらず、ロシアの批評から自分の理論を組み立てていた。

言文一致は、この作品では完成していない。地の文と会話文の調子が揃わず、部分によって文体が揺れる。それが実際に安定するのは、漱石藤村の世代を待つことになる。

あらすじ

第一篇。内海文三は、静岡から東京に出て学び、役所に職を得た青年である。母を国に残し、叔母お政の家に下宿している。

叔母の娘お勢は、学校で英語を学び、新しい思想をかじっている。文三はお勢に思いを寄せており、叔母も二人の結婚を当てにしていた。

ある日、文三は免職になる。役所の人員整理で、上役に取り入らなかった者が切られた。

叔母の態度が一変する。遠回しに、これからどうするのかと問い、皮肉を言い、他の縁談をほのめかす。文三は反論できない。

第二篇。同僚の本田昇が現れる。上役の家に出入りして昇進した男で、世渡りの技術を隠さず、むしろ当然のこととして語る。

昇はお勢に近づき、芝居や見世物に誘う。お勢は昇と出かけるようになる。

文三は苦しむ。お勢に真意を問いただしたい。だが問えば嫉妬になる。部屋にこもって考え続ける。 昇のやり方は間違っている。自分は正しい。だが、正しいことに何の意味があるのか。考えは同じところを回る。

第三篇。文三はついにお勢に話しかける。だが言葉が出ない。言おうとしたことと違うことを言い、余計に事態を悪くする。

お勢は文三を軽んじるようになる。職がなく、行動もせず、ただ塞ぎ込んでいる男に興味を持てない。

叔母は露骨に文三を追い出そうとする。文三は出ていくと決心する。だが出ていかない。 明日にしよう、と先延ばしにする。

そして原稿は途切れる。文三が二階の部屋で、もう一度だけお勢と話してみようと考えるところで、この小説は終わっている。

作者

登場する文学史