若菜集
- 作者
- 島崎藤村
- 成立
- 1897
- 国
- 日本
- 時代
- 近代
概要
日本語で書かれた最初の本格的な近代詩集である。五十一篇、いずれも短い。
それまで、日本には漢詩と和歌と俳句があった。詩といえば漢詩を指し、日本語で書く詩には形がなかった。1882年の『新体詩抄』が翻訳と創作を試みたが、稚拙で読むに堪えないものが多かった。この詩集で初めて、日本語の詩が読めるものになった。
文語で、七五調を基本とする定型で書かれている。口語自由詩はまだない。だが和歌でも漢詩でもない。新しい形式が、実作として成立した。
内容は、若い恋と、その痛みと、旅と自然にあたる。恋を正面から歌った点が、当時としては新しかった。和歌にも恋歌はあるが、そこには型がある。この詩集の恋は、生々しく、未熟で、個人的である。
最も知られているのが「初恋」である。林檎畑で少女に会う。前髪を上げたばかりの、まだ子どもの面影がある少女。その少女に林檎をもらったところから恋が始まる。
藤村二十五歳の刊行。この詩集を出した後、藤村は詩をやめて小説に移る。 九年後に破戒を書く。
背景に、藤村自身の恋がある。明治女学校の教師をしていたとき、教え子に恋をして職を辞し、東北へ去った。その体験が詩に流れ込んでいる。
文学史における評価と影響
日本の近代詩は、この詩集から始まるとされる。
達成は形式にある。日本語で、和歌でも漢詩でもない詩を書くという課題に、初めて答えが出た。七五調という日本語の自然な調子を使いながら、和歌の三十一文字の枠を外した。長さを自由に取れるようになったことが決定的だった。
恋を主題にできるようになったことも大きい。近代以前、恋は和歌の型のなかで詠むものだった。藤村はそれを、一人の若者の実際の感情として書いた。 この姿勢が、以後の日本の抒情詩の基調を作る。
同時に、この詩集は過渡期のものである。文語であり、定型である。口語自由詩が確立するのは、二十年後の萩原朔太郎の月に吠えるを待つ。藤村は入口を開けたが、そこを通り抜けはしなかった。
藤村が詩を捨てたことも、しばしば論じられる。この詩集を含む四冊の詩集を出した後、藤村は詩を書かなくなり、小説へ移った。近代日本において、詩よりも小説のほうが現実を扱える形式だと判断したという説明がなされる。
「初恋」は、いまも教科書に載り、暗誦される。近代詩でこれほど広く知られている詩は少ない。
内容
「初恋」が最もよく知られる。
まだ髪を上げたばかりの少女が、林檎の木の下に立っている。前髪に挿した花櫛が見える。その少女が白い手を伸ばして林檎をくれた。 それが恋の始まりだった。
そして少女の髪に自分の吐息がかかったとき、愛の杯を受けた気がした、と続く。
最後の連が知られている。林檎畑の樹の下に、おのずからできた細い道。誰が踏みそめたのかと問われて、恋しい人はそう尋ねる。
「秋風の歌」では、秋の風とともに来る心の変化が歌われる。
「六人の処女」は連作にあたる。おきぬ、おくめ、おきく、おさよ、おえふ、おきよ。六人の若い女が、それぞれの境遇と思いを語る。恋に破れた者、身売りされた者、僧になろうとする者。当時の女性が置かれた立場が、それぞれの声として書かれる。
「草枕」は、旅の詩である。故郷を離れ、あてもなく歩く心境が歌われる。藤村が実際に東北を放浪した経験が入っている。
「潮音」では、海の音が主題になる。
全体を通して、季節と自然の描写が多い。だが自然そのものが主題ではなく、心情を映すものとして置かれている。 この使い方も、以後の日本の詩に受け継がれた。