永井荷風

- 原綴
- Nagai Kafū
- 生没
- 1879–1959
- 出身
- 東京市小石川区(現・東京都文京区)
- 本名
- 永井壮吉
- 国
- 日本
- 時代
- 近代
生涯
1879年、東京の高級官僚の家に生まれた。本名は壮吉。エリートの家に育ったが、正規の学業には馴染まず、若い頃から花柳界(芸者や遊興の世界)に親しんだ。
父の意向でアメリカに約4年、フランスに約1年滞在した。銀行員として送られたが、文学と芸術に傾き、本場のヨーロッパ文化を吸収して帰国する。帰国後すぐ出したあめりか物語ふらんす物語が評価され、作家としての地位を得た。
慶應義塾の教授に迎えられ、雑誌『三田文学』を主宰した。この時期に谷崎潤一郎を見出している。だがやがて教壇を離れ、以後は文壇とも距離を置いて、独りで書き続けた。
戦後は隠者のような暮らしを送った。家族を持たず、東京郊外に一人で住み、行きつけの店に通う日々を日記に記している。1959年、79歳で自宅で死んでいるのが発見された。
作風
荷風は「文明開化」の反対側に立った作家である。同時代の作家の多くが、西洋化した日本をどう生きるかを主題にしたのに対し、荷風は壊されていく江戸の残りかすのほうを見た。花街、路地、掘割、明治以前から続く場所。それが消えていく過程を、惜しみながら記録し続けた。
本物の西洋を見たうえで、日本の中途半端な西洋化を嫌った。4年をアメリカで、1年をフランスで過ごした荷風は、表面だけ真似た日本の近代を軽蔑した。西洋を知らずに拒んだのではなく、知ったうえで、失われる江戸情緒の側についた点が、この作家の姿勢を決めている。
告白せず、距離を置いて書くのも特徴である。自分の内面の苦悩を売り物にする私小説とは逆に、都市の風景と、そこに生きる人間(芸者、私娼、市井の人々)を、突き放した視線で描いた。情におぼれず、風景を写すように人を書く文章である。
作品
あめりか物語(1908年)とふらんす物語(1909年)は、滞在体験をもとにした短篇集である。
すみだ川(1909年)
変わりゆく東京の下町を舞台にした叙情的な中篇である。腕くらべ(1916〜17年)は、新橋の芸者の世界を内側から描いた長篇である。
濹東綺譚(1937年)
玉の井の私娼お雪と初老の作家との交渉を描く。代表作とされることが多い。
断腸亭日乗(1917〜59年)
42年にわたる日記である。文学としても史料としても価値が高い(後述)。
文学史における立ち位置と影響
荷風は耽美派・「反自然主義」の系譜に置かれる。同時代の主流だった自然主義——島崎藤村や田山花袋の自分の生活を告白する私小説——の外にいた。告白せず、都市を距離を置いて描く姿勢は、後の谷崎潤一郎につながる。その谷崎を見出したのも荷風である。
最も重要なのは、権力と距離を取り続けた点である。1910年の大逆事件(社会主義者が処刑された事件)に際し、作家として何もできなかったことを恥じ、以後「戯作者」として生きると宣言した。政治から降りる、という表明である。その姿勢は戦時中も変わらなかった。太平洋戦争期、多くの作家が戦争協力の文章を書くなか、荷風は文学報国会にも加わらず、戦争を賛美する文章を一切書かなかった。発表の場を失いながら、日記に軍部と時勢への嫌悪を書き続けている。
戦後、この態度が高く評価された。積極的に抵抗したわけではないが、協力もしなかったという事実が、他の多くの作家との対比で際立った。断腸亭日乗は、近代日本の四十余年を一人の作家の目から連続して記録した文献として、資料的にも貴重である。東京大空襲で自宅が焼けたときも、荷風はこの日記の原稿を抱えて逃げた。著作権保護期間は満了している。