新体詩抄

作者
作者不詳
成立
1882
日本
時代
近代

概要

1882年(明治15年)に刊行された、日本で最初の近代詩集である。編んだのは外山正一(とやままさかず)・矢田部良吉(やたべりょうきち)・井上哲次郎の三人で、いずれも詩人ではなく、大学の教授だった。社会学者、植物学者、哲学者である。

収めるのは19篇。うち14篇が西洋詩の翻訳で、シェイクスピアの『ハムレット』の独白やテニスンの詩、グレイの「墓畔の哀歌」などが訳されている。残りの5篇が三人の創作である。

序文で述べられた主張がこの本の要である。従来のや漢詩は短すぎて、近代の複雑な思想や感情を盛れない。長く、新しい形の詩が必要だ——そう説き、その実作を示そうとした。「新体詩」とは、この新しい形の詩を指す言葉として作られた。

文学史における評価と影響

作品そのものの完成度は、当時から高く評価されていない。訳文はぎこちなく、創作も素朴で、後の詩人たちからは失敗作として扱われることも多かった。

にもかかわらず文学史上きわめて重要なのは、和歌でも漢詩でもない「詩」という領域を日本に立てたからである。以後の詩人は、この本が開いた場所で仕事をすることになる。

同時に、この本は近代詩が抱えた課題も示している。新しい内容を盛るといいながら、形式は文語の七五調のままだった。器が古いのである。この矛盾を解くのに、日本の詩はさらに三十年以上を要した。島崎藤村若菜集(1897年)が七五調の文語で抒情の頂点を示し、そこから萩原朔太郎月に吠える(1917年)による口語自由詩の確立へと進む。その長い道のりの出発点が、この本である。

内容

巻頭に外山正一による序が置かれ、新しい詩の必要が論じられる。

創作では、外山の「抜刀隊の詩」がよく知られる。西南戦争で薩摩軍と戦った警視庁抜刀隊を題材とし、「我は官軍我敵は天地容れざる朝敵ぞ」と始まる。後に曲がつけられ、軍歌として長く歌われた。

翻訳では、テニスンの「軽騎兵の突撃」や、シェイクスピアの「生か死か、それが疑問だ」(ハムレットの独白)が収められている。いずれも七五調の文語に移されており、原詩の韻律を日本語でどう受け止めるかという問題に、最初に取り組んだ記録になっている。