松本清張
- 原綴
- Matsumoto Seichō
- 生没
- 1909–1992
- 出身
- 福岡県企救郡(現・北九州市小倉)
- 国
- 日本
- 時代
- 現代
生涯
1909年、小倉(現在の北九州市)の貧しい家に生まれた。高等小学校を出ただけで働き始め、給仕、印刷工を経て、朝日新聞西部本社の広告部で図案を描く仕事に就く。学歴を持たないまま、独学で本を読み続けた。
作家としての出発は41歳のときである。1950年、『西郷札』が懸賞に入選し、1953年、或る「小倉日記」伝で芥川賞を受けた。森鷗外が小倉に在任していた時期の日記が失われていることに着目し、それを探し歩く在野の人物を描いた作品である。
そこから死ぬまでの40年、書き続けた。長篇・短篇・ノンフィクション・古代史研究を合わせて、著作は数百点に及ぶ。1992年、82歳で死去した。
作風
清張は、推理小説の重心を「誰が殺したか」から「なぜ殺したか」へ移した。戦前の日本の探偵小説は、奇抜なトリックと猟奇的な設定を主とするものが多かった。密室、暗号、変装。現実離れした舞台での謎解きの遊戯である。
清張が書いたのは違う。犯人は普通の勤め人であり、動機は昇進や借金や体面である。舞台は現実の地名と、時刻表どおりに走る列車である。警察は組織として動き、捜査は地道である。これを「社会派推理小説」と呼ぶ。犯罪を、個人の異常性ではなく社会の構造が生む結果として扱う書き方である。
点と線(1958年)は、時刻表の空白の四分間を使ったアリバイ工作を扱いながら、背景にあるのは官庁の汚職である。心中に見せかけられた二人は、汚職の口を塞がれた側だった。砂の器は、出自を隠して成功した男が、その過去を知る者を殺す話で、差別と、それゆえの隠蔽が動機になる。
文体は平明で、装飾がない。事実と経過を積み上げて読ませる。本人は「文章の巧拙より、何を書くか」という立場を取っていた。
作品
或る「小倉日記」伝(1953年)
芥川賞受賞作である。清張には、こうした名もない人物の生涯を書いた短篇も多く、こちらを高く評価する読者もいる。
点と線(1958年)
社会派推理小説の代表作である。
ゼロの焦点(1959年)と砂の器(1961年)も、繰り返し映像化されている代表作である。
日本の黒い霧(1960年)
占領期に起きた未解決事件(下山事件、帝銀事件など)を扱い、アメリカ占領軍の関与を推論したノンフィクションである。論証の手続きについては批判もあるが、戦後史への関心を広く喚起した。
昭和史発掘(1964〜71年)
昭和初期から二・二六事件までを膨大な資料で追った大作である。このほか邪馬台国論争にも参加し、古代史でも独自の説を展開した。
文学史における立ち位置と影響
清張は、日本のミステリの読者層を決定的に広げた。清張以後、社会派が主流になり、「純文学と大衆文学」という区分そのものを揺るがしたと言われる。エンターテインメントの作品が社会を正面から扱えることを示した点で、その後の日本の小説の幅を変えている。
批判もある。文体が平板である、量が多く質が一定でない、といった指摘は当初からあった。
一方、戦後日本社会の記録として読めるという点で、文学史の外からも参照され続けている。「昭和」という時代を犯罪の側から書いた作家、という位置づけが最も的確だろう。作品の映像化も繰り返され、原作を読んでいない層にも筋が知られている。