大江健三郎
- 生没
- 1935–2023
- 国
- 日本
- 時代
- 現代
何をやったか
個人的な経験を、繰り返し書き直し続けた。 個人的な体験(一九六四年)は、障害を持つ子の誕生に直面した父親を書いたもので、これは大江自身の経験である。以後、この主題を生涯にわたって変奏し続けた。
同時に、故郷である四国の森の谷間の村を舞台にした神話的な物語も書いている。『万延元年のフットボール』(一九六七年)では、村の伝承と現代の出来事が重ね合わされる。
文体は独特で、翻訳調とも評される。 日本語としての自然さより、思考の構造を優先した長い複文が特徴である。フランス文学(特にサルトル)を学んだ影響が指摘されている。
政治的な発言も多く、核兵器・平和憲法・沖縄などについて一貫して立場を表明した。
文学史における位置
一九九四年、日本人として二人目のノーベル文学賞を受賞した。
受賞講演の題「あいまいな日本の私」は、川端康成の「美しい日本の私」(一九六八年)を意識的に踏まえたものである。川端が日本の伝統的な美意識を語ったのに対し、大江は近代化のなかで西洋と伝統に引き裂かれた日本の「あいまいさ」を語り、川端の立場から距離を取った。
この二つの講演題の対比は、日本文学が抱えてきた「日本をどう名乗るか」という問いを最も明確に示しているとして、しばしば言及される。上代以来、外から来たものと自分の言葉の関係に悩み続けてきた文学史の帰結でもある。
安部公房と並んで、戦後の日本文学を国際的な文脈へ接続した作家である。
代表作
- 『死者の奢り』(一九五七年)— 学生時代のデビュー作
- 個人的な体験(一九六四年)— 障害を持つ子の誕生
- 『万延元年のフットボール』(一九六七年)— 村の伝承と現代
- 『ヒロシマ・ノート』(一九六五年)— ルポルタージュ
何から読むか
個人的な体験が主題も構造も最も明快である。長さも手ごろで、大江の中心的な問題がそのまま出ている。
文体に慣れが要る作家なので、最初は短篇から入る手もある。『ヒロシマ・ノート』はルポルタージュで、小説とは別の入口になる。