川端康成
- 生没
- 1899–1972
- 国
- 日本
- 時代
- 近代
何をやったか
感覚を直接文にする方法から出発した。 横光利一らと新感覚派を形成し、既成の写実的な描写を拒んで、感覚そのものを文章にすることを試みた。ヨーロッパのモダニズムと同時代的な運動である。
雪国(一九三五〜四八年)は雪国の温泉町を舞台に、都会の男と芸者の関係を描く。筋の展開より、情景と感覚の連なりで進む小説であり、初期の方法意識が持続していることが分かる。
一九六八年、日本人として初めてノーベル文学賞を受賞した。受賞講演の題は「美しい日本の私」で、道元・明恵の歌を引きながら日本の伝統的な美意識を語っている。
一九七二年に自殺した。遺書はなく、動機は特定されていない。
文学史における位置
日本文学を国際的な舞台に載せた最初の作家である。翻訳を通して読まれ、受賞によって日本文学への関心が世界的に高まった。
ただし、受賞講演で提示した「美しい日本」という自己像には後の世代から距離が取られている。一九九四年に受賞した大江健三郎は、講演題を「あいまいな日本の私」として川端の立場を意識的に踏まえ直した。日本をどう名乗るかという問いが、二つの講演題に対比として残っている。
三島由紀夫を早くから評価し、文壇に導いた人物でもある。
代表作
- 『伊豆の踊子』(一九二六年)— 学生と旅芸人の少女。短く、最も読まれている
- 雪国(一九三五〜四八年)— 代表作。断続的に書き継がれた
- 『千羽鶴』『山の音』(一九四九〜五四年)— 戦後の円熟期の作品
何から読むか
『伊豆の踊子』が最も入りやすい。短篇に近い長さで、話も明快である。
雪国は筋を追おうとすると戸惑う種類の小説である。情景と感覚の連なりを味わう読み方に切り替えると読み通せる。この構造は、新感覚派としての出発点を知っていると納得しやすい。