遠藤周作
- 原綴
- Endō Shūsaku
- 生没
- 1923–1996
- 出身
- 東京市巣鴨(現・東京都豊島区)
- 国
- 日本
- 時代
- 現代
生涯
1923年、東京に生まれ、幼少期を父の赴任先の満洲(現在の中国東北部)で過ごした。両親の離婚により、母とともに帰国して神戸に移る。11歳のとき、母に従ってカトリックの洗礼を受けた。自分の意志というより母に従ってのことだったと、後に繰り返し書いている。
慶應義塾大学で仏文学を学び、1950年、戦後最初期の日本人留学生の一人としてフランスへ渡った。リヨンでフランス文学を学ぶが、結核を発病して2年半で帰国する。この留学で感じた文化の隔たりが、生涯の主題の出発点になった。
帰国後、1955年に『白い人』で芥川賞を受け、作家として出発する。以後、キリスト教と日本を主題にした小説を書き続けた。1966年の沈黙で地位を決定づけている。
生涯を通じて病に悩まされた。何度も大きな手術を受け、闘病の経験も作品に反映されている。1996年、73歳で死去した。
作風
遠藤の主題は一貫している。「日本人にとってキリスト教とは何か」である。自分に着せられた洋服が身体に合っていない、という感覚を繰り返し書いた。西洋で生まれた一神教が、日本という土壌で本当に育つのか。この違和感を、捨てるのでも無理に納得するのでもなく、書き続けた。
その問いに、遠藤は一つの答えを出している。裁く父としての神ではなく、共に苦しむ母のような存在としてのイエス、という像である。強く正しい神ではなく、弱い者の傍らで一緒に苦しむ存在。日本人の感性に届くキリスト教の姿を、そこに見た。
罪の意識のあり方も問うた。海と毒薬では、戦時中に実際に起きた米軍捕虜への生体解剖事件を扱い、日本人には罪の意識が働きにくいのではないかという問いを立てている。神の前で自分を裁くという枠組みを持たない社会で、罪はどう感じられるのか、という問題である。
もう一つの顔もある。「狐狸庵(こりあん)先生」の名で、軽妙なユーモアエッセイを大量に書いた。重い主題の小説と、この軽さが同一人物のものであることが、同時代の読者に親しまれた。
作品
海と毒薬(1957年)
生体解剖事件を素材に、日本人の罪の意識を問うた作品である。
沈黙(1966年)
代表作である。江戸初期の禁教下の日本に、ポルトガル人司祭ロドリゴが、棄教したと伝えられる恩師の消息を求めて潜入する。捕らえられ、自分が棄教しなければ信徒たちが拷問され続けるという状況に置かれる。題名の意味はここにある。信徒が殺されていくあいだ、神は何も言わない。最後にロドリゴは踏絵を踏む。そのとき、踏絵の中のイエスが「踏むがいい」と語りかける。
この結末は論争を呼んだ。棄教を肯定するのかという批判が教会側から出て、一部の国では長く問題視されている。遠藤の意図は棄教の肯定ではなく、弱い者の側に立つ神を書くことにあったとされる。強く信仰を守り抜いた殉教者ではなく、踏んでしまった人間のほうを主人公にしたという選択が、この作品の核心である。2016年にマーティン・スコセッシによって映画化され、さらに広く知られるようになった。
侍(1980年)
慶長遣欧使節を素材にした長篇である。
深い河(1993年)
晩年の到達点とされる。インドのガンジス川を舞台に、それぞれの喪失を抱えた日本人たちを描き、一神教の枠を超えて、諸宗教に共通する何かへ向かおうとしている。
『イエスの生涯』『キリストの誕生』は小説ではなく、イエス像の再構成を試みた著作である。
文学史における立ち位置と影響
遠藤は、日本のカトリック作家として最も広く読まれた。椎名麟三や三浦綾子らとともに、戦後の日本文学におけるキリスト教の系譜に位置づけられる。
日本の近代文学に「神」という主題を持ち込んだ、数少ない書き手でもある。日本の小説は、私小説の系譜にせよ社会派にせよ、超越的なものを正面から扱うことが少なかった。信じるか信じないかではなく、信じられない自分をどう引き受けるかを書いた点が、この作家の位置を作っている。
海外での評価はとくに高い。沈黙は多数の言語に訳され、日本の戦後小説のなかでも国際的な読者を多く持つ作品になっている。キリスト教圏の読者にとって、外側からの信仰の問い直しとして読まれるという事情がある。