太宰治

- 原綴
- Dazai Osamu
- 生没
- 1909–1948
- 出身
- 青森県北津軽郡金木村(現・五所川原市)
- 本名
- 津島修治
- 国
- 日本
- 時代
- 近代
生涯
1909年、青森県の大地主の家に、11人きょうだいの十番目として生まれた。本名は津島修治。家は県下有数の富豪で、父は貴族院議員も務めた。恵まれた出自と、そこに馴染めない負い目が、生涯つきまとうことになる。
東京帝国大学に入るが、ほとんど通わず中退した。左翼運動への関与と離脱、薬物中毒、繰り返された自殺未遂と心中と、生活は一貫して破綻に傾いていた。大学在学中には、芥川龍之介を敬愛し、その名を冠した第一回芥川賞を強く欲しがったが受賞できなかった逸話も知られる。
戦時中は、むしろ安定した時期だった。郷里を旅した『津軽』、古典を翻案した『お伽草紙』など、明るく力のこもった作品を書いている。敗戦後、価値観が崩れた混乱期に『斜陽』人間失格が広く読まれ、流行作家になった。だが心身は限界にあり、1948年、人間失格を書き上げた年に、愛人とともに玉川上水に入水して死んだ。38歳だった。
作風
太宰は「自分を語る文学」の形式を、極限まで押し進めた作家である。私小説、つまり作者自身の生活を告白する小説の系譜に立つが、その形式を裏返した。従来の私小説が「作者が正直に告白する」ことを前提にしたのに対し、太宰は、告白する「私」自身が道化を演じている、という層を重ねた。読者は、語り手の弱さの告白すら、どこまで本気か分からなくなる。素の告白に見えて、実は精密に構成されている点が、単なる私小説の後継と違うところである。
文体は、読者に直接語りかける親密さを持つ。「──と言えば、あなたは笑うだろうか」といった呼びかけが多く、読者を共犯者のように引き込む。若い読者が「自分のことを書かれている」と感じるのは、この文体による。
作風の幅は、実際には広い。人間失格や『斜陽』のような破滅的な作品が有名だが、爽やかな走れメロスも、明るい紀行『津軽』も、古典の愉快な翻案『お伽草紙』もある。暗い作家という印象は、代表作の偏りによるところが大きい。
作品
走れメロス(1940年)
友情と信義を描いた短篇である。教科書に採られ、太宰の作品で最も多くの人に読まれている。
津軽(1944年)
故郷を旅する紀行で、破滅とは無縁のあたたかい太宰が読める一冊である。
斜陽(1947年)
敗戦後に没落する華族の家族を描き、流行語「斜陽族」を生んだ。華族は明治以降に置かれた貴族の身分で、敗戦とともに廃止された。滅びゆくものへの哀惜が、この作家の資質と重なった作品である。
人間失格(1948年)
最後の完成作である。人間らしく振る舞えず、道化を演じて生きるほかなかった男の手記という形をとる。太宰の分身とも読めるが、あくまで構成された作品である。今も新潮文庫の売上上位を保ち、若い読者を獲得し続けている。
文学史における立ち位置と影響
太宰は戦後の「無頼派(新戯作派)」を代表する。坂口安吾、織田作之助らとともに、戦前の道徳も、戦後に与えられた民主主義の建前も、どちらも信じない立場を取った作家群である。焼け跡の混乱期に、その姿勢が読者の実感と合った。
三島由紀夫が太宰を強く批判したことでも知られる。三島は太宰の弱さの露出を嫌った。自己を弱さとして差し出す太宰と、強さとして構築する三島という対立は、近代日本文学における二つの態度の代表として、繰り返し論じられる。
太宰は、没後も読者を更新し続ける稀な作家である。多くの作家が時代とともに読まれなくなるなかで、太宰は世代が変わるたびに新しい若い読者を得てきた。「自分の弱さを言い当てられた」と感じさせる文体が、時代を越えて機能しているためである。著作権保護期間は満了しており、作品は青空文庫で全文を読める。