文芸思潮私小説

私小説

発祥
日本
年代
1907–1960
広がり
1 か国 / 5人

出発点は田山花袋の『蒲団』(一九〇七年)とされる。中年作家が若い女弟子に抱いた欲望を、自分のこととして赤裸々に書いた。

フランスのエミール・ゾラ的な自然主義が社会を科学的に書こうとしたのに対し、日本ではそれが「作者が自分を告白する」方向へ転回した。なぜこの変形が起きたかは日本近代文学研究の大きな主題であり、定説は一つに定まっていない。

志賀直哉は簡潔な文章で日常の心の動きを書き、「小説の神様」と呼ばれた。太宰治人間失格(一九四八年)は、この形式が到達した極端な例である。

私小説は長く日本文学の主流とされ、同時に「社会を描かない」という批判を繰り返し受けてきた。戦後の作家の多くは、この形式との距離の取り方によって自分の位置を決めている。

この思潮の作家

国ごとにまとめている。同じ思潮が国境をまたいで広がった範囲がここに出る。

日本 5人