私小説とは? 作者自身の生活を告白する日本近代の小説形式

発祥
日本
年代
1907–1960
主な国
日本

私小説は、作者自身の生活と内面を、そのまま素材にして書く小説の形式である。作り物語ではなく、実際に自分の身に起きたことを書く。日本の近代文学に固有の形で、自然主義の受容が独自に変形して生まれた。

背景 — 自然主義が「告白」へ反転した

出発点は田山花袋蒲団(1907年)とされる。中年の作家が若い女弟子に抱いた欲望を、作り話としてではなく、自分自身のこととして隠さずに書いた作品である。

ここに日本の特殊な事情がある。フランスの自然主義は、科学を手本に社会を観察して書こうとした。ところが日本では、それが「作者が自分自身を告白する」方向へ反転した。社会の観察であるはずのものが、作者の身辺の暴露になったのである。

なぜこの反転が起きたのか。定説は一つに定まっていないが、しばしば指摘されるのは、当時の日本に、作家が社会や政治を正面から論じられる自由な言論の場が乏しかったこと、そして西洋の思想が、その土台にある社会の仕組みごとではなく、断片として急いで受け取られたことである。外の社会へ向かうはずの観察の目が、行き場を失って作者自身の内へ折り返した、とも読める。いずれにせよ、これは日本近代文学研究の大きな主題であり続けている。

和服姿で立つ田山花袋の肖像写真(1909年)。
『蒲団』で私小説の出発点をつくった田山花袋(1909年)。

「本当のこと」を書くという規範

私小説には、作り事を退け、実際に自分に起きたことを書くのが誠実だ、という価値観がついてまわった。虚構を組み立てることよりも、自分を偽らずに書くことが上に置かれる。

志賀直哉は、簡潔な文章で日常のなかの心の動きを書き、「小説の神様」と呼ばれた。太宰治人間失格(1948年)は、この形式が到達した極端な例である。ただし太宰は、告白する「私」そのものを一種の演技として差し出し、告白は本当に信じてよいのか、と読者に疑わせる方向へ進んだ。

「社会を描かない」という批判

私小説は長く日本文学の主流とされ、それと同時に「社会を描かない」という批判を、繰り返し受けてきた。作者の狭い身辺に閉じこもり、時代や社会を扱わない、という指摘である。

この批判が、日本の作家たちの立ち位置を決めてきた。芥川龍之介は古典を素材に虚構を組み立てる方向を選び、戦後の安部公房は、作者の身辺から最も遠い、風土色を消した寓話を書いた。私小説とどう距離をとるかによって自分の位置を決める——これが、近代以降の日本の作家に共通する構図である(日本近代現代)。

この思潮の作家

日本