金閣寺
- 作者
- 三島由紀夫
- 成立
- 1956
- 国
- 日本
- 時代
- 現代
概要
1956年、雑誌『新潮』に連載された長篇小説である。1950年に実際に起きた金閣寺放火事件を素材にする。吃音の少年僧が、父から聞かされた「金閣ほど美しいものはない」という言葉に取り憑かれ、最後にその金閣に火を放つまでを、本人の一人称で語る。三島の代表作とされ、精緻に構築された観念小説の到達点と評価されている。
1950年7月2日、金閣寺が放火により全焼した。放火したのは21歳の学僧で、逮捕後まもなく病を得て、1956年に死去している。三島はこの事件に関心を持ち、裁判記録や現地取材にもとづいて作品を組み立てた。
執筆は1956年。三島は31歳で、すでに仮面の告白『潮騒』で地位を得ていた。連載は同年の『新潮』1月号から10月号まで続き、単行本は同年に刊行されて読売文学賞を受けた。
事実との関係は限定的である。犯人の生い立ちや吃音は事件の記録に基づくが、柏木という人物や、作中の思想的な対話は創作にあたる。三島は動機の解明を目指したのではなく、事件を借りて自分の主題を書いた。
文学史における評価と影響
美と、それを破壊する行為の関係を主題にした作品である。溝口にとって金閣は完全であり、完全であるがゆえに、生きて変化する自分を拒む。女に触れようとすれば金閣が現れて妨げる。美が生の側に立たない以上、生きるためには美を消すほかない——この論理が、放火まで一直線に組み立てられている。
三島の作品に一貫する構図が、ここで最も明確な形をとった。美は完全であり、現実と両立しない。美に取り憑かれた者は、その美を破壊するか、自らが滅びるかに追い込まれる。
文体は硬質で、比喩を積み重ね、隅々まで意識で統御されている。戦後、多くの作家が話し言葉に近い平明な文体へ向かうなかで、三島は古典的な語彙と構文を保った。自然に流れることを拒み、構築物として書く態度が、金閣という建築を主題にした本作でとくに際立つ。
同時代の戦後文学の主流からは外れている。大岡昇平らが戦争体験と現実の記述へ向かったのに対し、三島は観念の構築へ進んだ。現実を写すのではなく、言葉で完璧な世界を作ろうとした点で、位置が異なる。
海外での受容も早い。英訳が出て国際的に読まれ、三島の名を世界に知らせた作品の一つになっている。市川崑によって映画化もされた(『炎上』、1958年)。
あらすじ
語り手は溝口。舞鶴に近い岬の寺の子として生まれた。生まれつき吃音があり、最初の音がうまく出ない。そのため言葉が世界に届かず、人と隔てられていると感じている。
父は病身の僧で、幼い溝口に、金閣ほど美しいものはこの世にないと繰り返し語った。溝口は実物を見ないまま、頭のなかで金閣を育てていく。
父の死後、溝口は遺言により金閣寺の徒弟となる。初めて実物を見たときは、思っていたほど美しくなく、失望した。だが暮らすうちに、金閣は再び溝口のなかで絶対的な美になっていく。
戦争が続いていた。空襲で焼けるかもしれないと考えたとき、溝口は金閣と自分が同じ運命を分かち合っていると感じ、はじめて金閣に親しみを覚える。だが戦争は終わり、金閣は焼けなかった。金閣は永遠の側に戻り、溝口はふたたび隔てられる。
大谷大学に進んだ溝口は、内翻足の柏木と知り合う。柏木は自分の障害を武器にして女を口説く男で、美しいものは自分を拒むと言い、認識によって世界を変えられると説く。溝口は柏木に引きずられていく。
溝口は女と関わろうとするが、そのたびに金閣が現れて行為を妨げる。美が生を邪魔する、という感覚が固まっていく。老師との関係も悪化し、学業を捨て、学費を遊興に使い、失踪して連れ戻される。
1950年7月、溝口は寺に火を放つ。金閣の最上層の究竟頂へ登って死ぬつもりだったが、扉は開かなかった。溝口は山へ逃れ、燃える金閣を見下ろす。ポケットの小刀と薬瓶を谷へ投げ捨て、煙草を吸って、生きようと思った。