安部公房
- 原綴
- Abe Kōbō
- 生没
- 1924–1993
- 出身
- 東京市滝野川区(現・東京都北区)
- 国
- 日本
- 時代
- 現代
生涯
1924年、東京に生まれたが、医師の父の赴任先である満洲(現在の中国東北部)で育った。少年期を大陸で過ごし、敗戦を奉天(現・瀋陽)で迎えている。この「故郷を持たない」経験が、作品の根にあるとしばしば指摘される。どこにも帰属しない感覚が、後の無国籍的な作風につながった。
東京大学医学部を卒業したが、医師にはならず作家の道を選んだ。「医師免許はやるが、これで患者を診てはならない」という条件で卒業させてもらったという逸話が残る。1951年、『壁』で芥川賞を受け、地位を確立した。
その後、小説と並行して戯曲を数多く書き、自ら「安部公房スタジオ」という劇団を主宰して演出も手がけた。写真や電子音楽など、多方面に関心を広げている。国際的に高く評価され、ノーベル文学賞の有力候補と目されたが、受賞を待たず、1993年に68歳で死去した。
作風
安部は、日本的な風土性を意図的に消した。砂の女は、砂丘の穴の底の家に閉じ込められた男の話である。地名も時代も曖昧で、どこの国の話としても読める。湿った情緒も、日本の四季も、私的な告白もない。代わりにあるのは、抽象的な状況と、それに直面する匿名の人間である。
主題は一貫して、存在の不確かさと、社会からの疎外である。『壁』では主人公が自分の名前を失い、他人の顔では顔を失った男が仮面を作って別人として生きようとする。いずれも寓話の形式をとり、「人間とは何か」「自分が自分である根拠は何か」を問う。
日本語の情緒や言葉のあやに頼らず、状況と論理で書くため、他言語に移しても核が損なわれにくい。この「翻訳で失われるものが少ない文体」が、日本の作家としては例外的な国際的受容をもたらした。
作品
壁(1951年)
芥川賞受賞作で、ある朝、自分の名前を失った男を描くの物語である。
砂の女(1962年)
代表作である。砂丘の穴に囚われ、砂を掻き出し続ける生活を強いられた男が、やがてその生活から逃げられなくなる。設定が単純で、状況の異様さがすぐ伝わる。国際的に最も広く読まれ、勅使河原宏によって映画化もされた。
他人の顔(1964年)
事故で顔を失った男が精巧な仮面を作り、その仮面が別の人格を持ち始める話である。友達(1967年)は代表的な戯曲で、見知らぬ一家が突然押しかけ、居座り続けるという不条理劇である。
文学史における立ち位置と影響
安部は、カフカとの近さがしばしば指摘される。理由の説明されない状況に人物が投げ込まれ、そこから出られない、という構造が共通するためである。ただし、影響関係を単純化することには注意が要る。安部は実存主義やからも学んでおり、系譜は一つではない。
戦後日本文学のなかで、私小説の伝統から最も遠い位置にある。作者の身辺を書くのではなく、抽象的な状況設定によって普遍的な問題を扱う。日本的な情緒を頼りにしない点は、後の村上春樹にも通じる。
大江健三郎と並んで、戦後の日本文学を国際的な文脈へ接続した作家とされる。二人とも私小説からも日本的情緒からも離れ、世界文学の同時代的な問題を扱った。ノーベル賞の有力候補と目されながら受賞前に没した点でも、しばしば並べて語られる。