人間失格
- 作者
- 太宰治
- 成立
- 1948
- 国
- 日本
- 時代
- 現代
概要
1948年、雑誌『展望』に連載された中篇小説である。太宰の最後の完成作にあたり、連載中に太宰は玉川上水で入水して死んだ。人間というものが理解できず、恐怖を隠すために道化を演じ続けた男が、酒と薬物と女性関係の末に廃人となるまでを、本人の手記という形で書く。今日も文庫の売上上位を保ち、若い読者を獲得し続けている。
太宰は1948年3月から5月にかけてこの作品を書いた。同年6月に『展望』での連載が始まり、7月号までの三回で完結している。だが第二回が世に出る前の6月13日、太宰は愛人の山崎富栄とともに玉川上水に入水した。遺体が見つかったのは、太宰の誕生日にあたる6月19日である。
作中の出来事の多くは、太宰自身の経験と重なる。青森の大地主の家に生まれたこと、左翼運動への関与と離脱、女性との心中未遂で自分だけが生き残ったこと、薬物中毒による入院。ただし葉蔵は太宰そのものではなく、「はしがき」と「あとがき」で語り手を別に立てる仕掛けが置かれている。
文学史における評価と影響
私小説の形式を使いながら、それを一段ずらした作品である。田山花袋以来の私小説は、作者が自分の恥を正直に告白することを前提にしてきた。この作品では、告白している当人が「自分は道化を演じてきた」と書く。すると読者は、その告白自体がどこまで本気なのか判断できなくなる。素直な告白のように読めて、実は精密に組まれている。
さらに、手記を挟む「はしがき」「あとがき」が枠として働く。手記のなかの葉蔵は自分を人間失格と断じるが、あとがきでマダムは「神様みたいないい子でした」と言う。自己認識と他人から見た姿が食い違ったまま、作品は判断を示さずに終わる。
太宰は坂口安吾、織田作之助らとともに「無頼派」に数えられる。戦前の道徳も、戦後に与えられた民主主義の建前も信じない立場をとった作家群である。焼け跡の混乱期に、その姿勢が読者の実感と合った。
三島由紀夫はこの作品と太宰を強く批判している。弱さを露出させる態度そのものを嫌った。自己を弱さとして差し出す太宰と、強さとして構築する三島という対立は、近代日本文学の二つの態度として繰り返し論じられる。
没後も読者を更新し続けている点が際立つ。多くの作家が時代とともに読まれなくなるなかで、太宰は世代が変わるたびに新しい若い読者を得てきた。「自分の弱さを言い当てられた」と感じさせる書き方が、時代を越えて働いているためである。
著作権保護期間は満了しており、青空文庫で全文を読める。
あらすじ
三枚の写真と、三つの手記からなる。
「はしがき」で、語り手の「私」が、大庭葉蔵という男の写真三葉を見た印象を述べる。幼年期、学生時代、そして年齢の分からない最後の一枚。どれも異様で、人間らしい感じがしない。続いて、その男が残した手記が置かれる。
第一の手記。葉蔵は東北の大地主の家に生まれた。幼い頃から、人間の営みが理解できない。腹が減るという感覚も分からず、家族の会話も何を面白がっているのか掴めない。恐怖を悟られないために、彼は道化を演じることを覚えた。わざと失敗し、おどけて、人を笑わせる。それが人間とつながる唯一の方法だった。
第二の手記。中学に進んだ葉蔵は、竹一という級友に道化を見破られる。高校で東京に出ると、画塾で堀木という遊び人と知り合い、酒と煙草と娼婦と質屋と左翼運動を覚えた。学業から離れ、非合法の運動の手伝いをするが、それも長続きしない。カフェの女給ツネ子と鎌倉の海で心中を図り、女は死に、葉蔵だけが生き残る。自殺幇助の罪に問われ、実家から勘当された。
第三の手記。葉蔵は雑誌の漫画を描いて暮らし、シヅ子という女性とその娘と同居する。だが自分がこの母子の幸福を壊していると感じ、家を出る。次に、京橋のスタンド・バーの娘ヨシ子と結婚した。ヨシ子は人を疑うことを知らない娘で、葉蔵はその無垢に救われかける。しかしある日、ヨシ子が出入りの商人に犯される場面を目にしてしまう。葉蔵は止めることも責めることもできない。
以後、葉蔵は酒に溺れ、薬物中毒になり、喀血する。堀木と葉蔵の兄の手配で脳病院に入れられた。そこを出た後は、故郷に近い海辺の家で、老女中と暮らしている。手記は、自分はもう人間ではなくなった、という自覚とともに閉じられる。二十七歳の葉蔵は、白髪の増えた老人のように見えた。
「あとがき」で「私」が戻る。手記を渡してくれたのは京橋のバーのマダムで、葉蔵を知っていた。マダムは言う。私たちの知っていた葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、神様みたいないい子でした。