三島由紀夫

原綴
Mishima Yukio
生没
1925–1970
出身
東京市四谷区(現・東京都新宿区)
本名
平岡公威
日本
時代
現代

生涯

1925年、東京の官僚の家に生まれた。本名は平岡公威(きみたけ)。幼少期を、病弱で神経質な祖母のもとで、外遊びを禁じられて過ごした。この隔離された環境が、内向的で観念的な資質を育てたとされる。

学習院を首席で卒業し、東京帝国大学法学部を経て大蔵省に入るが、9か月で退職して作家に専念した。1949年、自伝的な仮面の告白で地位を確立する。

戦後文学の花形として旺盛に書いた。小説、戯曲、評論、そして自ら主演する映画まで、活動は多岐にわたる。国際的にも早くから高く評価され、ノーベル文学賞の有力候補と目された。

晩年は肉体と政治へ傾斜していく。ボディビルで肉体を鍛え、民兵組織「楯の会」を結成した。1970年11月25日、楯の会の隊員とともに自衛隊市ヶ谷駐屯地に乗り込み、バルコニーからクーデターを呼びかけ、応じられぬまま割腹自殺した。45歳。この日の朝、最後の長篇豊饒の海の最終回を編集者に渡していた。

作風

三島は、戦後に口語文が主流になった時代に、あえて硬質で人工的な日本語を選んだ。多くの作家が話し言葉に近い平明な文体へ向かうなか、三島は古典的な語彙と構文を保ち、比喩を積み重ね、隅々まで意識で統御した文章を書いた。自然に流れることを拒み、あくまで構築物として書く文体である。

主題は一貫して「美」と「その破滅」である。美は完全であるがゆえに、生きて動く現実と両立しない。美に取り憑かれた者は、その美を破壊するか、自らが滅びるかに追い込まれる。金閣寺がその典型で、青年僧が、あまりに美しい金閣に生を妨げられ、ついにそれを焼く。

「告白」すら演技として構築した。出世作仮面の告白は、自分の性的な倒錯を告白する形をとりながら、その告白自体が精巧に組まれた作品である。素の自分をさらすのではなく、自分を素材に美を作る。弱さを弱さのまま差し出した太宰治と、しばしば対比される。

作品

仮面の告白(1949年)

出世作で、自らの性的倒錯を告白する体裁の自伝的小説である。「仮面」という題が、この作家の方法そのものを言い当てている。

潮騒(1954年)

島の若い漁師と海女の恋を描く。三島には例外的に明快で平明な恋愛小説で、入口に向く。

金閣寺(1956年)

代表作である。実際に起きた金閣寺放火事件を素材に、美に取り憑かれた青年がそれを焼くまでを描く。精緻に構築された観念小説の頂点とされる。

豊饒の海四部作(1965〜71年)は最後の長篇で、輪廻転生を軸に、大正から戦後までを描いた大作である。最終巻の入稿と自決が同じ日だった。戯曲も多く、近代能楽集では能の主題を現代劇に翻案している。

文学史における立ち位置と影響

三島は戦後文学のなかで特異な位置にある。同世代の多くが戦争体験や敗戦後の現実を主題にしたのに対し、三島は美と観念の構築へ向かった。現実を写すのではなく、言葉で完璧な世界を作ろうとした点で、戦後リアリズムの主流から外れる。

日本文学の国際的な受容にも大きな役割を果たした。早くから英訳が進み、海外での知名度は当時の日本人作家で随一だった。1968年のノーベル文学賞は川端康成が受けたが、三島も有力候補とされていた。

作家の死そのものが政治的事件になった、戦後で唯一の例でもある。ただしこの事件をどう評価するかは、今日まで定まっていない。文学としての達成と、政治的行動・思想をどう切り分けるかという問題は、セリーヌをめぐる議論と構造が似ており、決着していない。このサイトは事実を示すにとどめる。

作品

登場する文学史