オウィディウス

- 原綴
- Publius Ovidius Naso
- 生没
- 前43–17頃
- 出身
- スルモ(現・イタリア、スルモナ)
- 国
- ローマ
- 時代
- 黄金期
生涯
前43年、ローマ東方のスルモ(現在のスルモナ)に、騎士階級の家に生まれた。カエサル暗殺の翌年にあたる。
父はローマへ送って修辞学を学ばせ、官職に就かせようとした。オウィディウスは下級の公職をいくつか務めたが、まもなく辞して詩作に専念する。
二十代から恋愛詩で名を上げた。当時のローマは、アウグストゥスが道徳の再建を掲げていた時期である。姦通を罰する法が作られ、家族の秩序が国策として推進されていた。その時期に、恋の技術を軽やかに説く詩を出したことになる。
紀元後8年、黒海沿岸のトミス(現在のルーマニア、コンスタンツァ)へ追放された。五十歳を過ぎていた。理由は分かっていない。本人は「詩と過失(carmen et error)」と書いている。詩とは『恋愛指南』のことだろうと考えられているが、「過失」が何を指すのかは書いていない。皇帝の一族のスキャンダルを目撃した、政治的な陰謀に関わったなど諸説あるが、決定的な証拠はない。
トミスはローマ世界の辺境である。冬は凍り、住民はラテン語を話さず、蛮族の襲撃がある。オウィディウスはそこから嘆願の詩を書き続けた。恩赦を求め、皇帝を讃え、自分の惨めさを訴える。だが許されなかった。アウグストゥスも次の皇帝ティベリウスも赦免せず、17年頃、トミスで死去した。
作風
オウィディウスの詩は軽妙で技巧的である。ウェルギリウスの重厚さとは正反対の位置にあり、機知と皮肉によって進む。
初期の恋愛詩がその典型にあたる。『恋愛指南』は恋の口説き方を教える教則本という体裁をとり、どこで相手を見つけるか、どう手紙を書くか、どう気を引くかを説く。第三巻では女性の側への助言も書いている。真面目な教則詩の形式を借りて、真面目でない内容を詰めるという構えである。
変身物語の方法は、話をつなぐことにある。古代の神話は、もともと各地の伝承や個別の詩のなかに散らばっていて、まとまった一冊がなかった。オウィディウスは二百五十ほどの神話に「誰かが何かに姿を変える」という共通点を持たせ、話の終わりが次の話の始まりになるように配置した。全体が切れ目なく流れる。
語り口は場面の描写に厚みがある。ダフネが月桂樹に変わるとき、足が根になり、腕が枝になり、髪が葉になる過程が順を追って書かれる。この視覚的な具体性が、後世の画家たちに素材を与えた。
流刑地の詩は調子が変わる。前半生の軽やかさに代わって、失われた場所への執着と、自分の状態の訴えが繰り返される。
作品
『恋の歌(アモーレス)』(前16年頃)
初期の恋愛詩集である。
『名婦の書簡(ヘロイデス)』
神話の女たちが去っていった男に宛てて書く手紙という形式をとる。ペネロペからオデュッセウスへ、ディドーからアエネアスへ。よく知られた物語を、女の側の視点から書き直した作品にあたる。
『恋愛指南(アルス・アマトリア)』(前1年頃)
恋の技術を説く教則詩で、追放の一因とされる。
変身物語(8年頃)
主著である。天地創造からカエサルの神格化まで、二百五十ほどの神話を一つの長篇詩に繋いだ。ダフネが月桂樹になる話、ナルキッソスが水面の自分に恋する話、ピュグマリオンの彫像が生きる話、イカロスが墜ちる話、オルフェウスが振り返る話。これらを「その形で」知っているとすれば、多くの場合オウィディウスの書き方に由来する。
『祭暦(ファスティ)』
ローマの暦と祭儀を扱った詩で、追放によって未完に終わった。
『悲しみの歌(トリスティア)』『黒海からの手紙』は、流刑地から書かれた嘆願の詩である。
文学史における立ち位置と影響
変身物語は、中世からルネサンスにかけての西欧で、神話を知るための主要な情報源になった。
中世のキリスト教世界にとって、異教の神々の恋愛譚は本来危険な内容である。それでも読まれ続けた。対策として寓意的な解釈が施され、神話の一つ一つに道徳的・キリスト教的な意味を読み込む注釈書が作られた。その形で正当化されたのである。12世紀は「オウィディウスの時代」と呼ばれることがあり、宮廷風恋愛の理論もこの詩人の恋愛詩を下敷きにしている。
ダンテは神曲で、ホメロスやホラティウスらと並ぶ古代の詩人の一群にオウィディウスを置いた。チョーサーも神話の素材をここから得ている。
シェイクスピアへの影響はとくに大きい。神話への言及の多くがオウィディウス由来であり、『ヴィーナスとアドーニス』は直接の翻案にあたる。ルネサンスの画家たちが繰り返し描いた神話の場面も、この一冊を経由している。
カフカの変身は、原題が変身物語と同じ語である。ただし内容の方向は正反対で、変身が神話的な意味を持たないことが主題になっている。
評価には二面がある。ウェルギリウスのような国家的な重みを持たない「軽い詩人」という見方と、ヨーロッパ文学の共有財産を作った詩人という見方が並存してきた。