ルカヌス
- 原綴
- Marcus Annaeus Lucanus
- 生没
- 39–65
- 出身
- コルドバ(ヒスパニア・現スペイン南部アンダルシア州)
- 国
- ローマ
- 時代
- 銀の時代
生涯
39年、ヒスパニア(現在のスペイン)のコルドバの名門に生まれた。哲学者セネカは伯父にあたる。一族はローマの上流社会に食い込んでおり、幼くしてローマへ移った。
若くして詩才を認められ、皇帝ネロに目をかけられて要職に就いた。ネロ自身も詩を作り、公の場で朗読するほど文芸に執着した皇帝である。当初、二人の関係は良好だった。
やがて関係が悪化する。ネロがルカヌスの詩才に嫉妬したためだと伝えられる。ネロはルカヌスに、詩を公に発表することを禁じた。詩を人前で朗読することが発表そのものだった時代に、これは詩人としての活動を封じるに等しい。
この対立を背景に、ネロを倒す計画に加わった。首謀者の名からピソの陰謀と呼ばれる。65年に露見し、ルカヌスは死を命じられた。伯父のセネカも同じ事件に連座して同じ年に死んでいる。ルカヌスは静脈を切って死んだ。息を引き取る際、自作のなかの戦場で兵士が死んでいく一節を口ずさんでいたと伝えられる。二十五歳だった。
作風
『内乱』が扱うのは、前49年から始まるカエサルとポンペイウスの内戦である。共和政ローマを終わらせたこの戦いを、叙事詩の形で書いた。書かれたのはその百年ほど後にあたる。
それまでのと決定的に違うのは、神々が出てこないことである。ウェルギリウスのアエネイスでは、神々が人間の争いに介入し、誰が勝つかを左右した。ルカヌスはその仕掛けを丸ごと捨てた。戦争を動かすのは人間の野心と、運命という気まぐれな力だけになる。歴史を人間の次元で説明しようとしたこの姿勢は、当時としては新しかった。
歴史の見方は暗い。ルカヌスは共和政の側に肩入れし、それを守ろうとしたポンペイウスや小カトーを称える。勝ったカエサルのほうは、止めようのない破壊の力として描かれる。だが共和政は負ける。正しい側が負けることを知りながら書いている。「勝った側の大義は神々の気に入り、負けた側の大義はカトーの気に入った」という一句が、この態度をよく表す。神々に味方されることと、道義が通っていることは別だ、という言い方になる。
文体は誇張が多く、修辞が濃い。凄惨な戦闘場面、長々とした演説、大げさな比喩。この時代のローマ詩は技巧が過剰になる傾向があり、「白銀期」と呼ばれるが、ルカヌスはその典型にあたる。悪趣味だと批判されることもあるが、勢いと迫力は認められてきた。
作品
『内乱(Bellum Civile)』
唯一のまとまった作品である。『ファルサリア(Pharsalia)』の通称でも呼ばれる。内戦の決着がついたファルサロス(現ギリシャ中部)の地名による。
全10巻だが未完である。二十五歳で死んだため、話は途中で切れている。エジプトでのカエサルの動きを描いたところで中断しており、本来どこまで書く構想だったかは分かっていない。
ほかにも詩を書いたが、大部分が失われた。
日本語では抄訳がある。
文学史における立ち位置と影響
神々を出さない歴史叙事詩という点で、古代の叙事詩のなかで独自の位置を占める。
ウェルギリウスが定めた叙事詩の型を、意識的に外した。神の意志ではなく人間の行いによって歴史が動く、という書き方は、叙事詩を歴史記述に近づけることになった。後の時代に歴史を題材にした長篇詩を書く者は、ウェルギリウス型かルカヌス型かを選ぶことになる。
共和政を悼み、専制を憎むという内容が、後世の読まれ方を決めた。ルネサンス以降、王や皇帝の支配に反対する立場の人々がこの詩を読んだ。イギリスのミルトン、フランス革命期の共和派がその例にあたる。専制を批判する古典としては、タキトゥスと並んで参照されてきた。
ダンテは神曲の辺獄に、ホメロス、ウェルギリウス、オウィディウス、ホラティウスとともにルカヌスを置いている。中世においてすでに、古代の大詩人の一人と見なされていたことになる。
文体の評価は時代によって上下した。均整のとれた古典を尊ぶ時代には、大げさすぎるとして低く見られる。一方、激しさや過剰さを評価する時代には読み直される。
二十五歳でこれだけの規模の叙事詩を書いたという事実そのものも、繰り返し語られてきた。
日本での受容は、ローマ詩への関心のなかで進んだ。神々を排した叙事詩として紹介されている。