ルクレティウス
- 原綴
- Titus Lucretius Carus
- 生没
- 前99頃–前55頃
- 出身
- 不明(ローマか)
- 国
- ローマ
- 時代
- 共和政期
生涯
前99年頃の生まれとされる。物の本質についてという一篇の長い詩を残したこと以外、確かなことはほとんど分かっていない。生没年も出身地も推定にとどまる。
同時代の記録がほとんど残っていない。後の時代の断片的な記述があるだけで、そこには、媚薬を飲んで狂気に陥り、正気に戻った合間にこの詩を書き、最後は自ら命を絶ったと記されている。ただしこの話は、キリスト教が広まった時代に、神を否定するこの詩人を貶めるために作られたものだという見方が有力である。事実かどうかは確かめようがない。
詩そのものは、メンミウスという人物への呼びかけの形をとる。実在の政治家で、この人物との交際があったことはうかがえる。だがそれ以上のことは分からない。
作品が完成しないまま残されていることから、書き終える前に死んだと考えられている。キケロが死後にこの詩を整理して世に出した、という説もあるが確証はない。
作風
物の本質についてが説くのは、ギリシャの哲学者エピクロスの教えである。ルクレティウスはエピクロスを、人類を迷信と死の恐怖から解放した恩人として崇拝し、その思想をラテン語の詩に移すことに生涯を費やした。
中心にあるのは徹底した唯物論である。世界のすべては、それ以上分割できない微小な粒子(原子)と、その粒子が動く場所である空虚からできている。物質も生き物も、そして魂さえも、粒子の運動と結合によって生じる。神々が存在するとしても、この世界の運行には関わらない。すべては自然の法則どおりに起きる。二千年前に書かれたとは思えないほど、近代の科学的な世界像に近い。
だが目的は自然の解明そのものではない。人間を恐怖から解放することにある。人が最も恐れるのは死である。しかし魂も原子でできているのだから、死ねばばらばらになって散る。とすれば死後に罰を受ける場所などなく、死とは何もない状態にすぎない。恐れる相手が存在しない。同じ理屈で、神の怒りを恐れる必要もない。この恐怖から解かれてはじめて、人は心の平静に達することができる。詩の全体はこの結論に向かって組み立てられている。
哲学の議論を詩にするのは無理のある試みだった。ルクレティウス自身が、それを、苦い薬を子どもに飲ませるために杯の縁に蜜を塗るようなものだ、とたとえている。原子の性質を説明する堅い議論の合間に、自然の生命力を歌う華やかな一節が挟まる。冒頭の愛と生殖の力である女神ウェヌスへの呼びかけがその代表にあたる。神々は世界に関与しないと説く詩が、女神への祈りで始まっている。
作品
唯一の作品である。全6巻のにあたる。
第1巻と第2巻が原子論の基礎を説く。すべては原子と空虚からできており、それ以外には何もない、という主張である。
第3巻は、魂も原子でできていて死とともに散ることを論じ、死を恐れる必要がないと説く。
第4巻は感覚と認識を扱い、後半で恋愛の情念を論じる。恋を病として突き放して分析する部分は、この詩のなかでもよく知られている。
第5巻は、世界がどう生じ、人間の文明がどう発達したかを説く。神が作ったのではなく、原子の偶然の結合から生じたとする。
第6巻は雷や地震、疫病といった自然現象を説明する。最後はアテネで起きた疫病の悲惨な描写で唐突に終わる。未完成のしるしとされる。
日本語では全訳がある。
文学史における立ち位置と影響
哲学を詩の形で説いた作品として、古代を通じて最も高い達成とされる。この形式の頂点に置かれてきた。
その世界観は時代を大きく先取りしていた。すべてを粒子の運動で説明する考え方は、近代の科学的な世界像の先駆にあたる。神の意志ではなく物質の法則で世界を説明しようとした点で、当時としては例のない立場だった。
そのぶん、長く読まれなくなった。神を否定するに等しい内容は、キリスト教が支配的になった時代には危険視される。写本は書き写されなくなり、ほとんど忘れられた。1417年、の学者ポッジョ・ブラッチョリーニが、ドイツの修道院の書庫で写本を再発見する。この発見がルネサンスの思想に与えた衝撃は大きく、世界を神なしで説明する言葉が、千数百年ぶりにヨーロッパに戻ったことになる。
以後、近代の思想家と科学者に読まれた。原子論の復活は近代物理学の源の一つになる。モンテーニュはエセーで繰り返し引用し、17世紀のガッサンディはこの原子論をキリスト教と両立させようとした。アメリカのジェファソンも愛読者の一人に数えられる。
エピクロスの思想を伝える文献としても最重要である。エピクロス自身の著作は大半が失われたため、その内容は主にこの詩を通して知られてきた。
日本での受容は物の本質についての翻訳を通じて進んだ。哲学と詩が結びついた稀な例として評価されている。