リウィウス
- 原綴
- Titus Livius
- 生没
- 前59–17
- 出身
- パタウィウム(北イタリア・現ヴェネト州パドヴァ)
- 国
- ローマ
- 時代
- 黄金期
生涯
前59年、北イタリアのパタウィウム(現在のパドヴァ)に生まれた。官職に就かず、軍にも入らず、生涯を著述だけに費やしている。ローマの歴史家は政治家や軍人を兼ねているのが普通で、カエサルもタキトゥスもそうだった。その点でリウィウスは例外にあたる。
ローマへ出て、皇帝アウグストゥスと面識を得た。ただし宮廷に仕えたわけではない。アウグストゥスはリウィウスを「ポンペイウス派」と冗談めかして呼んだと伝えられる。ポンペイウスはカエサルに敗れた共和政側の将軍で、つまり、帝政を築いた当人が、この歴史家の共和政びいきを承知していたことになる。それでも咎められていない。
生涯の大半を一つの仕事に費やした。『ローマ建国以来の歴史』である。ローマの建国から自分の時代までを扱う全142巻の大著で、四十年以上かけて書き続けたと考えられている。
17年、故郷のパタウィウムで死去した。アウグストゥスの死の三年後にあたる。
作風
リウィウスが書こうとしたのは、小さな都市国家にすぎなかったローマが、どうやって地中海全域を支配するに至ったかである。そして、その理由をローマ人の美徳に求めた。勇気、規律、神々への敬意、質素、公のために私を捨てる姿勢。祖先がこれらを備えていたからローマは大きくなった、という説明になる。
同時に、自分の生きる時代は堕落したと見ていた。かつての美徳は失われ、贅沢と私欲がはびこっている。過去の栄光を書くことで、読者に失われたものを思い出させようとした。歴史は、真似すべき手本と避けるべき例を並べた道徳の教科書だ、という考え方がその前提にある。
叙述は劇的である。史料をつき合わせて事実を厳密に確定するより、読ませることと感化することを優先した。英雄たちが長い演説をする場面が随所にあるが、その多くはリウィウス自身の創作にあたる。戦闘の描写も、実際の記録というより舞台の場面に近い。
そうして書かれた逸話が、ローマ人の自己像を作った。たった一人で橋を守り、味方が橋を落とすまで敵を食い止めたホラティウス・コクレス。敵陣に忍び込んで捕らえられ、脅されても動じないことを示すために自分の右手を火にくべたムキウス・スカエウォラ。いずれも史実かどうかは疑わしいが、リウィウスの筆によって不朽のものになった。
文章はおおらかで流れがよい。キケロの書き方を受け継いだ、豊かで明るい散文である。後のタキトゥスが語を切り詰めて暗い文体を作ったのとは正反対で、古来「乳のような豊かさ」と評されてきた。
作品
『ローマ建国以来の歴史(Ab Urbe Condita)』
唯一にして最大の作品である。建国とされる前753年から前9年までを扱う。
142巻のうち現存するのは35巻にとどまる。第1巻から第10巻(建国から前293年)と、第21巻から第45巻(第二次ポエニ戦争から前167年まで)である。とくに、ハンニバルがアルプスを越えてイタリアへ攻め込む第二次ポエニ戦争の部分がよく読まれてきた。
失われた巻については、後世に作られた要約(Periochae)によって、おおまかな内容だけが分かる。
日本語では残存部分の訳がある。
文学史における立ち位置と影響
タキトゥスと並ぶローマ最大の歴史家とされる。この二人はよく対比される。リウィウスは共和政の美徳を称える明るい歴史を書き、タキトゥスは帝政の暗部を暴く暗い歴史を書いた。ローマの歴史記述の両極にあたる。
ローマの建国神話と英雄伝説を今日に伝えた、最も重要な文献でもある。ロムルスとレムスの兄弟が狼に育てられ、ローマを建てたという話も、共和政期の英雄たちの逸話も、この本を通して伝わった。ローマ人が自分たちをどういう民族だと思っていたかは、ここに集約されている。
ルネサンス以降の影響が大きい。共和政を称えるその歴史観は、王政に反対する側の理論の下敷きになった。マキァヴェッリの『ディスコルシ』は、この本への注釈という形をとりながら、共和政のほうが君主政より優れていることを論じた著作である。近代の共和主義者は、繰り返しリウィウスに根拠を求めた。
劇的な逸話は、文学と美術に素材を提供した。凌辱されて自死し、王政打倒のきっかけになったルクレティアの話、父に殺される娘ウェルギニアの話は、何度も戯曲や絵画の主題になっている。
日本での受容は、ローマ史・ローマ文学への関心のなかで進んだ。