黄金のろば
- 原題
- Metamorphoses
- 作者
- アプレイウス
- 成立
- 2世紀
- 国
- ローマ
- 時代
- 銀の時代
概要
2世紀に書かれたラテン語の長篇小説である。全11巻。原題は『変身』にあたるが、アウグスティヌスが言及した際の呼び方から「黄金のろば」の名で定着した。
ラテン語で書かれた長篇小説のうち、完全な形で現存する唯一の作品である。サテュリコンは断片しか残らない。
主人公ルキウスは、旅先で魔術に興味を持ち、女に変身の軟膏を塗ってもらおうとして取り違え、ろばになる。人間の意識のまま獣の身体に閉じ込められ、盗賊、農夫、祭司、粉屋、兵士と、次々に持ち主が変わる。ろばは口をきけないので、行く先々の人間が本音を語る場に居合わせることになる。
作品の大部分は、その道中で見聞きした話で占められる。姦通、殺人、魔術、詐欺。挿話が入れ子になって語られ、筋が中断される。文体は華麗で、古語と造語と口語が混在する。
第11巻で調子が一変する。それまでの猥雑な喜劇が、宗教的な回心の記述に切り替わる。
アプレイウスは125年頃、北アフリカのマダウロス(現在のアルジェリア)に生まれた。カルタゴとアテナイで学び、各地を旅した。プラトン哲学を講じる弁論家として知られる。
裁判の記録が残っている。裕福な年上の未亡人と結婚した際、相続を狙った親族から魔術を用いて誘惑したとして告発された。 その法廷での弁明が『弁明(Apologia)』として伝わる。無罪となっている。作品の主題が魔術であることと、この事件との関係は繰り返し論じられてきた。
素材には先行作がある。ギリシア語で書かれた同種の話が存在したことが分かっており、その要約とみられる短篇『ルキオスまたはろば』が伝わる。アプレイウスの独自性は、挿話の増補、文体、そして第11巻の宗教的な結末にある。
イシス信仰は、エジプト起源の密儀宗教で、当時ローマ帝国内に広まっていた。第11巻の記述は、その儀式についての数少ない同時代の資料として、宗教史の分野で用いられる。
文学史における評価と影響
小説というジャンルの古代における到達点として扱われる。一人称の語り、変身という枠組み、挿話の連鎖、そして遍歴する主人公。主人公が身分を転々としながら社会の各層を見るという構造は、後の悪漢小説(ピカレスク)の型に直結する。
クピドとプシュケの物語は、独立して受容された。魂(プシュケ)が愛(クピド)と結ばれる寓話として、新プラトン主義の枠組みで解釈され、ルネサンス以降の絵画と彫刻の主題になった。ラファエロ、カノーヴァらが扱っている。物語の構造——見てはならないという禁を破り、失った相手を苦難の末に取り戻す——は、各地の民話に類例があり、民俗学でも比較の対象になってきた。
受容の歴史では、ボッカッチョがこの作品の写本を筆写しており、デカメロンに素材を借りた挿話がある。セルバンテス、フィールディングら、後の小説家にも影響が及ぶ。
結末の扱いは議論が続く。猥雑な喜劇として十巻続いたのち、最終巻で宗教的な救済に転じる。この落差を、作品の統一の欠如と見るか、それまでの好奇心と欲望の遍歴が回心へ至る構成と見るかで解釈が分かれる。作者自身が入信していたのかどうかも、確定していない。
日本では訳が読める。クピドとプシュケの部分だけが独立して読まれることも多い。
あらすじ
商用でテッサリアへ向かうルキウスは、道中で魔術の話を聞く。宿泊した家の女主人パンピレが魔女だと知り、その召使フォティスと関係を持ち、変身の術を見せてくれと頼む。
パンピレが軟膏を塗って梟に変わるのを覗き見たルキウスは、自分も試そうとする。フォティスが箱を取り違え、塗ったルキウスはろばになる。人間に戻るには薔薇の花を食べればよいと教えられるが、その夜に強盗が押し入り、荷物を運ばせるためにろばを連れ去る。
盗賊の隠れ家で、誘拐されてきた娘カリテを見る。老婆が娘を慰めるために、クピドとプシュケの物語を語る。作品の中央に置かれた最も長い挿話にあたる。
人間の娘プシュケは、美しすぎたためにウェヌスの怒りを買う。神託により山に置き去りにされるが、見えない存在に迎えられて豪奢な館で暮らす。夫は夜だけ訪れ、姿を見てはならないと言う。姉たちに唆されたプシュケは、灯りをかざして夫の顔を見る。愛の神クピドだった。灯油が落ちて目覚めた夫は去る。プシュケは夫を求めてさまよい、ウェヌスに捕らえられて無理難題を課される。穀物の選別、金羊の毛、冥界からの箱の運搬。最後の課題で好奇心に負けて箱を開け、眠りに落ちる。クピドが救い出し、二人は正式に結ばれ、プシュケは神々の列に加えられる。生まれた子は「よろこび」と名づけられる。
物語のあと、筋に戻る。カリテは婚約者に救出されるが、後に別の男の陰謀で夫を殺され、自ら命を絶つ。
ルキウスは持ち主を転々とする。粉挽き小屋で車を回し、菜園で働き、去勢した祭司の一団に加わって偽の託宣を売る。行く先々で、姦通の話、毒殺の話、裁判の話が語られる。ろばのまま芸を仕込まれ、見世物として食事や飲酒を披露するようになる。
やがて、公衆の面前で女囚と交わらせる見世物に出されることが決まる。屈辱に耐えかねたルキウスは逃げ出し、海辺で眠る。
第11巻。目覚めたルキウスは月に祈る。女神イシスが現れ、翌日の祭で司祭が持つ薔薇の花冠を食べよと告げる。指示通りにして人間に戻る。以後ルキウスは女神に仕え、三度にわたる入信の儀式を受け、財産を費やしながら祭司となる。ローマで弁護士として働きつつ、剃髪した姿を隠さずに歩くところで作品は終わる。