マルクス・アウレリウス

原綴
Marcus Aurelius Antoninus
生没
121–180
出身
ローマ
ローマ
時代
銀の時代

生涯

121年、ローマの名門の家に生まれた。早くから才能を認められ、当時の皇帝ハドリアヌスの意向で、次の皇帝の後継者に定められる。つまり、皇帝になるべく育てられた。

若い頃からの哲学に傾倒した。自分の力で変えられないことは受け入れ、変えられることだけに集中する。この教えを、マルクス・アウレリウスは生涯手放さなかった。

161年、皇帝に即位した。だが治世は平穏とはほど遠い。東の国境ではパルティア(現在のイランにあった国)との戦争が起き、北の国境からはゲルマン系の諸部族が繰り返し侵入した。マルクス・アウレリウスは在位の多くを戦場で過ごすことになる。さらに、東方から持ち帰られた疫病が帝国全土に広がり、膨大な死者を出した。

自省録は、この時期に書かれた。とくに北方の戦地の陣中で書き継がれたと考えられている。皇帝としての重い責任と、終わらない戦争のなかで、夜ごと自分に語りかける言葉を綴った。

180年、北方の戦役の途中、陣中で病により死去した。58歳だった。その死とともに、ローマ帝国が最も安定していた「五賢帝」の時代——有能な皇帝が五代続いた約80年間——が終わる。以後、帝国は動乱の時代へ入っていく。

作風

自省録は、他人に読ませるために書かれた本ではない。皇帝が自分自身のために、自分を励まし、戒めるために書き留めた覚書である。もとの題は「自分自身に」という意味だった。ローマ皇帝でありながら、当時の教養人の慣習に従って、ギリシャ語で書かれている。公表を意図しなかったこの私的な記録が、たまたま後世に伝わり、読み継がれることになった。

内容はの考え方に沿う。宇宙は理性によって貫かれており、起きることはすべてその秩序のなかにある。人間にできるのは、自分が支配できるもの——自分の判断と意志——を正しく保つことだけである。病も、他人の悪意も、そして死も、自分の力の及ばないことであり、それに心を乱されてはならない。

死についての思索が繰り返し現れる。すべては移ろい、消えていく。どんな栄光も権力も、やがて誰にも覚えられなくなる。皇帝である自分もまた死に、忘れられる。だがこれは絶望の言葉ではない。限られた生をどう正しく生きるか、という問いへ向かうための前提である。

もう一つの柱が、義務である。朝、起きるのがつらいときには、自分にこう言い聞かせよ——人間としてなすべき仕事のために起きるのだ、と。快楽のためではなく、共同体のために生きよ。帝国の統治という重荷を、果たすべき務めとして引き受けた。

書き方は断章、つまり短いメモの寄せ集めである。体系立った論文ではない。同じ主題が何度も現れ、少しずつ言い方を変えて繰り返される。飾らない率直な言葉で、自分に向かって語りかけている。

作品

『自省録(Τὰ εἰς ἑαυτόν、タ・エイス・ヘアウトン)』

唯一の著作である。全12巻からなる断章集にあたる。

第一巻だけは他と性格が異なる。家族や師から自分が何を学んだかを、一人ずつ挙げて感謝する内容である。祖父からは穏やかさを、ある師からは忍耐を、というように。この感謝の記録から本は始まる。

第二巻以降が本体にあたる。死、義務、理性、他人との付き合い方、宇宙の秩序。これらをめぐる思索が、短い断章として並ぶ。

日本語では複数の訳がある。岩波文庫の神谷美恵子訳が長く読まれてきた。断章ごとに独立しているので、どこから読んでも構わない。

文学史における立ち位置と影響

の考え方を伝える文献のなかで、最も広く親しまれてきた一冊である。同じストア派ではセネカの著作や、奴隷の身から哲学者になったエピクテトスの言葉が知られるが、自省録はそのなかでも別格の読まれ方をしてきた。

その独自性は、書き手の立場にある。ローマ帝国の頂点、絶対的な権力の座にいる人物が、権力を誇るのではなく、自分を厳しく律し、死と無常を見つめ、義務に生きようとする。哲学者が皇帝でもあった、というこの組み合わせは他に例がない。プラトンが理想とした「哲人王」——哲学を修めた者が国を治めるべきだという構想——の現実における唯一の実例として、しばしば言及される。

公表するつもりのない私的な覚書が古典になった、という点でも特異である。読者を意識していないからこそ、飾りがなく、率直な内省がそのまま残った。自分自身に向き合う記録という点で、二百年後のアウグスティヌス告白とは別の形で、後世の自伝や日記の遠い先例になっている。

時代を超えて実用的に読まれてきた本でもある。困難な状況にある人にとって、『自省録』は慰めと励ましの書だった。自分の力の及ばないことに心を乱さず、なすべきことをなす。この教えは今日も、自己啓発の文脈を含めて広く参照されている。

日本での受容は厚い。繰り返し訳され、人生の指針の書として長く読まれてきた。

作品

登場する文学史