ジークムント・フロイト

原綴
Sigmund Freud
生没
1856–1939
出身
フライベルク(モラヴィア、現・チェコ)
ドイツ
時代
20世紀前半

生涯

1856年、モラヴィアのフライベルク(現在のチェコ、プシーボル)にユダヤ人商家の子として生まれた。三歳のとき一家はウィーンへ移り、以後の八十年近くをこの都市で過ごす。

ウィーン大学で医学を修め、生理学の研究から出発した。1885年、パリでシャルコーのもとでヒステリーの催眠治療を学ぶ。帰国後、神経症の治療を開業した。

同僚ブロイアーとの共著『ヒステリー研究』(1895年)が出発点になる。患者に自由に語らせることで症状が軽くなるという観察から、催眠を捨てて自由連想の方法を作った。

1900年の『夢判断』は初年に351部しか売れなかった。だが1902年から自宅で開かれた研究会に人が集まり、ユング、アドラー、フェレンツィらが加わって国際精神分析協会が発足する。ユングとアドラーは後に離反した。

1923年に上顎の癌が見つかり、以後十六年で三十回を超える手術を受けた。この時期に、義娘と孫を相次いで失っている。

1938年、ナチスのオーストリア併合により、82歳でロンドンへ亡命した。国際的な働きかけと身代金の支払いによって出国が認められている。妹たちは残され、後に強制収容所で殺された。

1939年9月、ロンドンで死去した。83歳だった。癌の苦痛が耐えがたくなり、主治医に依頼してモルヒネの投与を受けている。

作風

フロイトが提示したのは、人が自分の動機を知らないという前提である。

意識して考えていることの下に、意識されない領域がある。抑圧された欲望や記憶がそこに押し込められ、夢、言い間違い、症状という形で歪んで現れる。分析とは、その歪みを読み解いて元の形へ遡る作業になる。

この作業の構造は、文学の解釈と同じ形をしている。表に現れたものを手がかりに、隠された意味を読む。フロイト自身がそれを自覚しており、症例の記述をしばしば物語として書いた。『あるヒステリー分析の断片』などは、患者の生活を筋のある物語として提示している。自分の書いたものが短篇小説のように読めることを、本人が奇妙だと述べていた。

文学作品そのものも論じた。ソフォクレスオイディプス王から「エディプス・コンプレックス」の名を取り、ハムレットカラマーゾフの兄弟を父殺しの主題として並べた。ホフマンの『砂男』を論じた「不気味なもの」(1919年)は、文学批評として今日も読まれている。

文体そのものにも評価がある。専門用語を積み上げず、日常のドイツ語で書いた。1930年にゲーテ賞を受けているが、これは文学賞である。

晩年には対象が広がった。個人の心理から、宗教、社会、文明の成り立ちへ移る。『文化への不満』では、文明が人に欲動の断念を強いるという構図から、人間の不幸を説明した。

作品

『ヒステリー研究』(1895年、ブロイアーとの共著)

出発点にあたる。

『夢判断』(1900年)

主著である。夢は願望の充足であり、その内容は圧縮と置き換えによって歪められている、という理論を示した。

『日常生活の精神病理学』(1901年)

言い間違いや物忘れを扱う。

『性理論のための三篇』(1905年)

性の発達を幼児期から論じたもので、当時最も激しい反発を受けた。

「不気味なもの」(1919年)は、ホフマンの『砂男』を分析した論文である。馴染みのものが馴染みでなくなるときに恐怖が生じる、という論を立てた。

『快原理の彼岸』(1920年)で、死の欲動という概念が導入される。

『文化への不満』(1930年)

文明論である。

『モーセと一神教』(1939年)

最後の著作で、亡命の直前と直後に書かれた。

日本語では『夢判断』と『精神分析入門』が読める。文学の側から読むなら「不気味なもの」が短く、直接に役立つ。

文学史における立ち位置と影響

フロイトは、20世紀の文学と批評に最も広く参照された理論家である。

作家への影響が直接的に及んだ。シュニッツラーは同時代の同じウィーンにいて、フロイト自身が「自分の分身」と呼び、そのため会うことを避けてきたと手紙に書いている。トーマス・マンはフロイトを論じる講演を行い、ジョイスウルフプルーストらの意識を扱う手法も、この理論が共有された時代の産物として論じられる。

シュルレアリスムは、無意識と夢を直接に方法の根拠にした。ブルトンは医学生としてフロイトを読み、自動記述の着想を得ている。

批評の方法としても定着した。作品や作中人物を分析の対象とする「精神分析批評」が一つの流派になり、20世紀後半にはラカンの読み直しを経て、文学理論の中心的な位置を占めた。

反発と批判も大きい。科学としての妥当性、女性についての議論、症例記述の信頼性が、いずれも繰り返し問われてきた。治療の理論としての評価は今日大きく下がっている。それでも文学と文化を読む語彙——抑圧、無意識、投影、転移、エディプス——が日常語として定着した事実は動いていない。

日本では大正期から紹介され、芥川龍之介の周辺で読まれた。戦後は文芸批評の道具として広く用いられている。

登場する文学史