ミハイル・ショーロホフ
- 原綴
- Михаил Шолохов
- 生没
- 1905–1984
- 出身
- クルジリン(ドン地方)
- 国
- ロシア
- 時代
- ソヴィエト期
生涯
1905年、ロシア南部のドン地方の村に生まれた。コサックの土地で育ち、その生活と文化を、幼い頃から深く知った。この故郷が、生涯の主題になる。
正規の教育は短い。革命と内戦の混乱のなかで、十代から働き始めた。食糧徴発隊に加わるなど、内戦の現実を、身をもって経験している。
二十代前半で、故郷のコサックを描いた短篇を発表した。そして、大作静かなドンの執筆に取りかかる。第一部は1928年、ショーロホフが二十三歳のときに刊行された。
この若さで、これほどの大作を書いたことから、後に、盗作の疑いが向けられた。ショーロホフ自身の作ではなく、内戦で死んだ別のコサック作家の草稿を用いたのではないか、という説である。この疑惑は、長く論争の的になった。近年、原稿の発見や、計量的な文体分析によって、ショーロホフの著作であるとする見方が有力になっているが、議論は完全には収束していない。
ソ連の体制のなかで、ショーロホフは、公式に認められた作家として、高い地位を保った。共産党員であり、最高会議の代議員も務めた。1965年、ノーベル文学賞を受賞する。ソ連当局が公認した作家としての受賞は、パステルナークやソルジェニーツィンの場合とは、対照的だった。
一方、体制の側に立って、反体制の作家を批判したこともある。ソルジェニーツィンらを、厳しく非難した。この姿勢は、後に批判された。1984年、七十八歳で死去した。
作風
ショーロホフが描いたのは、ドン・コサックの世界である。
コサックは、ロシア南部の辺境に暮らす、独自の共同体である。半農半兵の生活を送り、強い自治の伝統と、独特の気質を持つ。ショーロホフは、この世界の生活、風俗、言葉を、内側から、克明に描いた。
静かなドンは、その世界を、革命と内戦の激動のなかに置く。主人公グリゴーリー・メレホフは、一人のコサックの青年である。第一次大戦、革命、内戦。この歴史の大波のなかで、グリゴーリーは、赤軍と白軍のあいだを、幾度も行き来する。どちらの側にも完全には与しきれず、翻弄され続ける。
この主人公の造形が、この作品を、単なる革命讃美から遠ざけている。グリゴーリーは、革命の英雄ではない。真実を求めて右へ左へと揺れ動き、そのたびに、愛する者を失い、傷つく。革命の勝利ではなく、その激動のなかで、一人のコサックが失っていくものが、描かれる。結末では、すべてを失って荒廃した故郷へ帰ってくる。
自然描写が、際立って豊かである。ドンの草原、河、四季の移ろい。コサックの生活と一体になった自然が、壮大なスケールで描かれる。このな自然描写が、作品の魅力の大きな部分をなす。
同時に、戦争と暴力の描写は、容赦がない。内戦の残虐さ——同じ土地の者が殺し合う悲惨——が、生々しく書かれる。
作品
静かなドン(1928〜40年)
代表作である。全四部からなる大長編で、革命と内戦のなかのドン・コサックを描く。20世紀ロシア文学の叙事詩的な達成とされる。
『開かれた処女地』(1932〜60年)
農業集団化を主題にした長編である。こちらは、体制の方針に沿った内容を持つ。
『人間の運命』(1957年)は、第二次大戦で、家族と自由を失い、それでも生き抜く一人の男を描いた短篇である。戦後の代表作にあたる。
日本語では『静かなドン』が読める。分量は大きい。
文学史における立ち位置と影響
ショーロホフは、ソ連の公式文学を代表する作家である。パステルナークやソルジェニーツィンが体制と対立したのに対し、ショーロホフは、体制の内側で高い地位を保った。この点で、その位置は、複雑な評価を伴う。
静かなドンは、の枠のなかで書かれながら、その枠を超える力を持つ、とされてきた。主人公が、革命の勝利へと導かれる英雄ではなく、歴史に翻弄されて破滅する人物であることが、単純なプロパガンダとは異なる、悲劇的な深みを与えている。この作品を、体制公認の枠内での例外的な達成と見るか、あるいは体制の巧妙な産物と見るかで、評価は分かれる。
コサックの世界を、文学の主題として確立した功績も大きい。辺境の独自の共同体を、その生活と言葉とともに、壮大な物語のなかに描き出した。
盗作疑惑は、この作家をめぐる、長い論争の的であり続けた。ソルジェニーツィンも、この疑惑を支持する立場をとった。政治的な対立が、この論争の背景にもある。文体分析による近年の研究は、ショーロホフの著作であることを支持する傾向にあるが、決着したとは言い切れない。
体制の側に立って反体制の作家を批判したことは、その名誉に影を落とした。作家が、権力の側で、同業者の弾圧に加担したという問題は、繰り返し論じられている。
日本での受容は、『静かなドン』を中心に進んだ。ソ連文学の代表として、広く読まれてきた。