ニコライ・レスコフ
- 原綴
- Николай Лесков
- 生没
- 1831–1895
- 出身
- ゴロホヴォ(オリョール県)
- 国
- ロシア
- 時代
- 黄金時代
生涯
1831年、オリョール県の村に生まれた。父は下級の官吏で、聖職者の家系だった。家は裕福ではなく、レスコフは十代半ばで学業を離れ、働き始める。
役所勤めを経て、伯父が経営する会社に入った。この会社の仕事で、ロシア各地を広く旅する。数年にわたって、農民、商人、聖職者、職人、地方の役人など、あらゆる階層の人々と接した。この見聞が、後の作品の尽きない源泉になった。作家としてのレスコフを作ったのは、大学ではなく、この旅だった。
三十代でジャーナリストとして文筆を始めた。だが、出発でつまずく。1862年、ペテルブルクの大火に際して、放火の噂に関する記事を書いたところ、それが革命派を中傷するものと受け取られ、進歩的な陣営から激しく攻撃された。さらに、革命運動を批判的に描いた長編を発表したことで、進歩派から決定的に敵視される。当時のロシア文壇は進歩派が主導しており、レスコフは、その主流から排除された。この孤立が、生涯にわたって彼の評価を妨げた。
それでも、書き続けた。晩年はトルストイの思想に共感し、その道徳的な立場に近づいた。教会の制度を批判する作品を書き、検閲との軋轢も続いた。1895年、六十三歳で死去した。
作風
レスコフの最大の特徴は、その文体、とくに「スカース」と呼ばれる語りの手法である。
スカースとは、民衆の一人が口頭で物語を語る、その話し言葉をそのまま写したような文体である。地の文が、教養ある作者の言葉ではなく、語り手である民衆の訛りや言い間違い、独特の言い回しに満ちた言葉で書かれる。読者は、目の前で誰かが語っているのを聞いているような感覚を得る。
代表作「左利き」は、その典型である。イギリス人が作った精巧な鋼鉄の蚤に、ロシアの左利きの職人が、さらに小さな蹄鉄を打つ、という話が、民衆の語り手の口調で語られる。外来語が民衆によって面白おかしく訛った形(顕微鏡が「小メルコスコープ」になるような)が、随所に現れる。この言葉遊びに満ちた文体が、レスコフの真骨頂である。
物語の題材は、無尽蔵に多彩である。奇人、聖者、悪党、放浪者、職人。ロシアの各地で見聞きした、ありとあらゆる人間の物語が語られる。とくに、風変わりだが、どこか聖なるものを宿した人物への関心が強い。
「魅せられた旅人」は、遍歴を続ける修道僧が、その数奇な生涯——馬の調教師、捕虜、兵士——を語る物語である。一人の人間のなかにある、罪と聖性の両方が描かれる。
一方、「ムツェンスク郡のマクベス夫人」のような、暗く残酷な作品もある。情欲のために次々に人を殺す商家の妻を描いたこの中篇は、ショスタコーヴィチのオペラの原作になった。
作品
「左利き」(1881年)は、スカースの文体を代表する作品である。イギリスと張り合うロシアの職人を、諧謔をこめて描く。
「魅せられた旅人」(1873年)は、遍歴する修道僧の生涯を語る中篇である。
「ムツェンスク郡のマクベス夫人」(1865年)は、情欲と殺人の物語で、後にオペラ化された。
「僧院の人々」(1872年)は、地方の聖職者たちの生活を描いた長編である。レスコフの代表作の一つとされる。
「かもしかの毛皮外套」など、多くの短篇がある。
日本語では「左利き」「ムツェンスク郡のマクベス夫人」などが読める。
文学史における立ち位置と影響
レスコフは、19世紀ロシア文学のなかで、独自の位置を占める。トルストイ、ドストエフスキー、ツルゲーネフといった大作家の陰に隠れがちで、その存命中の評価は低かった。文壇の主流から排除されたこと、そして、思想小説ではなく、語りの技巧そのものを追求したことが、その理由である。
だが、作家たちからの評価は、時代を追って高まった。チェーホフは、その語りの技術に学んでいる。20世紀に入ると、その文体の豊かさが、改めて発見された。とくに、ロシア・フォルマリズムの批評家たちが、「スカース」という概念を、レスコフの文体を分析するために理論化した。物語の「筋」ではなく「語り口」に注目するこの視点は、文学理論に影響を与えた。
ゴーリキーは、レスコフを、プーシキン、トルストイと並ぶ、ロシア語の言葉の魔術師だと評価した。ロシア語そのものの表現力を、最も豊かに引き出した作家の一人とされる。
ドイツの批評家ベンヤミンは、「物語作者」という有名な評論で、レスコフを論じている。口承の物語の伝統を体現する語り手として、近代小説とは異なる、物語ることの本質を示す例として扱った。
翻訳の難しい作家でもある。その魅力の大部分が、ロシア語の言葉遊びと訛りにあるため、他言語では効果が失われやすい。このことも、国際的な評価が遅れた一因になっている。
日本での受容は限られてきたが、その独特の文体は、ロシア文学の多様さを示す例として紹介されている。