マシュー・アーノルド

原綴
Matthew Arnold
生没
1822–1888
出身
ミドルセックス州レイラム
イギリス
時代
ヴィクトリア朝

生涯

1822年、ロンドン近郊レイラムに生まれた。父は、名門ラグビー校の校長を務めた著名な教育者である。オックスフォード大学で学び、はじめは詩人として出発した。

だが三十代以降、詩作からしだいに離れ、批評と教育に力を注ぐようになった。長く国の教育視学官を務め、各地の学校を視察してまわった。この仕事を通じて、イギリス社会の実状を、教育の面から深く知った。

後半生は、文芸批評や社会批評の著作を数多く発表した。詩人としてよりも、むしろ時代を導く批評家・思想家として、大きな影響力をもった。1888年に没した。

作風

詩人としてのアーノルドは、信仰の揺らぎと、それがもたらす孤独をうたった。科学の進歩によって、伝統的な宗教への信仰が崩れつつあった時代。その、確かな拠り所を失った近代人の不安と憂愁が、その詩の基調をなす。

名高い「ドーヴァー・ビーチ」は、この主題を凝縮している。夜の海辺で、引いていく潮の音に、詩人は、世界から信仰が退いていく音を聞く。確かなものが失われた世界で、せめて愛する者どうしが誠実であろう、と結ばれる。近代の精神的な孤独を、静かに、深くとらえた詩である。

批評家としては、「教養」の力を説いた。アーノルドにとって教養とは、世界で考えられ語られてきた最も優れたものを知り、それによって、偏狭さや俗物根性を乗り越えることだった。産業化のなかで物質主義に傾く社会を、この教養の力によって、より高い理想へ導こうとした。

作品

「ドーヴァー・ビーチ(Dover Beach)」(1867年)

夜の海辺を舞台に、世界から信仰が退いていく時代の不安をうたった詩である。確かな拠り所を失った近代人の孤独を、静かで美しい言葉でとらえた。アーノルドの代表的な詩にあたる。

『教養と無秩序(Culture and Anarchy)』(1869年)

社会を、教養の力によって導こうと説いた評論である。物質主義や偏狭さを乗り越え、人間性を高めるものとしての教養の意義を論じた。ヴィクトリア朝社会への、代表的な批評として知られる。

文学史における立ち位置と影響

アーノルドは、近代の文芸批評の基礎を築いた批評家として、とりわけ大きな位置を占める。文学を、社会や道徳、人間性の全体と結びつけて論じるその姿勢は、批評を、単なる作品の鑑賞から、時代を導く営みへと高めた。

詩人としては、信仰の喪失という近代の根本的な問題を、いち早く、そして深くうたった。「ドーヴァー・ビーチ」に描かれた精神的な孤独は、その後の近代文学が繰り返し立ち返る主題となった。

教養によって社会を高めようとするその理想は、後の教育や文化の議論に、長く影響を与え続けた。詩と批評の両面で、ヴィクトリア朝の精神を最も深く体現した知識人の一人とされている。

登場する文学史