荒涼館
- 原題
- Bleak House
- 作者
- チャールズ・ディケンズ
- 成立
- 1852-1853
- 国
- イギリス
- 時代
- ヴィクトリア朝
概要
1852年から1853年にかけて月刊で連載された長篇小説である。ディケンズの円熟期を代表する大作にあたる。
物語の中心にあるのは「ジャーンディス対ジャーンディス」という遺産相続の裁判である。あまりに複雑で、何十年も判決が出ないまま続いている。そのあいだに訴訟費用が膨れ上がり、関係者を次々に破滅させていく。この終わらない裁判が、物語全体を覆う影になっている。
構成の巧みさで知られる作品でもある。物語は二つの異なる語り手によって交互に語られる。一つは全体を見渡す三人称の語り、もう一つはヒロインのエスター・サマソンによる一人称の回想である。前者は現在形で、後者は過去形で書かれており、文体もはっきり違う。
無数の登場人物と複数の筋が絡み合いながら、最後に一つの真相へ収束していく。
ディケンズはこの作品に司法制度への痛烈な批判を込めた。終わらない裁判は、当時の大法官裁判所の非効率と腐敗を写したものである。この裁判所は手続きが複雑で、裁判が何十年も長引くことで悪名高かった。ディケンズ自身、海賊版をめぐる訴訟で勝訴しながら費用を回収できず、苦い経験をしている。
序文では、この裁判に実在のモデルがあることを示唆している。実際、判決の出ないまま何十年も続いた相続裁判の例が当時いくつも知られていた。
冒頭のロンドンを包む霧の描写は名高い。司法制度の不透明さと、社会全体を覆う停滞の象徴として読まれてきた。
文学史における評価と影響
ディケンズの最高傑作の一つとされる。初期の明るく感傷的な作風から、後期の暗い社会批判へ移る転換点にあたる。
構成の巧みさがまず際立つ。俯瞰的な三人称とエスターの一人称が交互に置かれ、同じ出来事が違う角度から見える。無数の人物と筋が絡み合いながら、最後に一つの真相へ収束する。一見無関係に見える社会の各層が、実は深く結びついている。貧民街の少年が広めた病が上流の屋敷に届く、といった形で、その連関が示されていく。
社会批判の深さもこの作品を特徴づける。終わらない裁判は司法の腐敗を諷刺するだけではない。制度が、それに関わる者をどう壊すかを描いている。人間が作った仕組みが人間を支配し、押し潰す。この批判は、後のカフカの審判を先取りしているとも言われる。
探偵小説の要素も注目される。弁護士殺しの謎とそれを追うバケット警部の造形は、後の探偵小説の発展に影響を与えた。
日本での知名度はデイヴィッド・コパフィールドや大いなる遺産に比べると高くない。長大で入り組んでいるためである。だがディケンズの最高傑作を問うとき、しばしばこの作品が挙げられる。翻訳がある。
あらすじ
「ジャーンディス対ジャーンディス」の遺産相続裁判は、大法官裁判所で何世代にもわたって続いている。この裁判の関係者である若い被後見人リチャードとエイダは、心優しい後見人ジャーンディス氏の屋敷「荒涼館」に引き取られた。
もう一人、荒涼館に迎えられるのがエスター・サマソンである。自分の出生を知らない孤児で、育ての親から、生まれてきたことそのものが恥だと繰り返し言い聞かされて育った。エスターは聡明さと優しさで屋敷の家事を切り盛りし、周囲に慕われる。
もう一つの軸がデッドロック家である。冷たく誇り高いレディ・デッドロックは上流社会の頂点にいる。だがある日、法律文書の筆跡を目にして激しく動揺した。その筆跡には、隠された過去が結びついていた。
執念深い弁護士タルキングホーンが、この動揺を見逃さず、秘密を追い始める。レディ・デッドロックは若い日に身分違いの恋人とのあいだに子を産んでいた。その子がエスターである。二人は実の母娘だった。
秘密が暴かれようとするなか、タルキングホーンが何者かに射殺される。捜査にあたるのがバケット警部で、英文学における警察の探偵の最初期の造形として知られる。バケットは複数の容疑者を追い、真犯人を突き止める。
秘密の露見を恐れたレディ・デッドロックは、すべてを捨てて屋敷を出た。エスターとバケット警部は雪のなかを追う。だがたどり着いたとき、レディ・デッドロックはかつての恋人が葬られた貧民墓地の門の前で息絶えていた。母と娘はその死に顔で対面する。
一方、遺産裁判はついに決着する。だが遅すぎた。訴訟費用が遺産の全額を食い尽くし、誰の手にも何も残らなかったのである。裁判に望みを託し続けた青年リチャードは、心身をすり減らして死ぬ。エスターは愛する医師と結ばれ、新しい「荒涼館」で暮らし始める。