唯美主義・世紀末とは? 「芸術のための芸術」と頽廃の美
- 発祥
- イギリス
- 年代
- 1870–1910
唯美主義は、芸術は道徳や有用性に奉仕する必要がない、とする立場である。「芸術のための芸術」を掲げ、洗練・人工・頽廃を美の側に置いた。19世紀後半に、その正反対を向く二つの相手への反発として現れた。
背景 — 道徳と実用への反発
一つの相手は、当時のイギリスに広がっていた道徳主義である。文学は人を教え導き、健全な教訓を含むべきだ——そうした空気に対して、芸術を道徳の道具にすることを拒んだ。もう一つの相手が、自然主義である。科学を手本に社会をありのままに観察するその方向に対し、唯美主義は現実の観察でも社会の改良でもなく、ただ美だけを目的とする道を選んだ。
背景には、19世紀末という時代の気分がある。世紀の終わりに、進歩や健全さよりも、爛熟し滅びに向かうものにこそ美を見る感覚が広がった。これを世紀末(フィン・ド・シエクル)と呼び、唯美主義はこの気分と分かちがたく結びついたため、唯美主義・世紀末とまとめて呼ばれる。
芸術は役に立つ必要がない
源流は、ゴーチエが唱えた「芸術のための芸術」である。芸術は何かの役に立つ必要がない、道徳を説くためでも社会を良くするためでもなく、美そのもののために作られてよい、という主張である。
この感受性の教科書になったのが、ユイスマンスの小説『さかしま』(1884年)である。ゾラの弟子として自然主義から出発した作者が、外界を遮断して人工の世界に閉じこもる主人公を描いた。人工の宝石、稀な香水、書物だけの部屋。現実を写すのではなく現実を拒むこの作品は、自然主義の方法からの離反として読まれた。
ワイルドと、芸術の自律
イギリスではワイルドが機知で社交界の頂点に立ち、ドリアン・グレイの肖像の序文で、芸術と道徳の分離を宣言した。善い本も悪い本もない、よく書けた本とまずく書かれた本があるだけだ、という趣旨である。

だがワイルドは、同性愛を理由に起訴され、二年の重労働刑を受けて、出獄後に困窮のうちに死んだ。芸術は道徳から独立すると説いた当人が、道徳を理由に社会から罰せられたことになる。芸術の自律という主張が現実の社会と衝突した事件として、繰り返し論じられる。
日本の耽美派
日本では谷崎潤一郎・永井荷風・泉鏡花が耽美派と呼ばれた。道徳よりも美と官能を上に置く点で、ヨーロッパの唯美主義と構図が重なる。
ただし日本では、これは別の意味も帯びた。自然主義が作者自身の身辺を告白する私小説へ向かったことへの、反発である。地味な告白と道徳臭に対して、美と幻想と官能を掲げる。ヨーロッパでは自然主義の科学性への反動だったものが、日本では告白への反動になった(日本近代)。