アルフレッド・テニスン

月桂樹を背に、あごひげをたくわえたテニスンの油彩肖像画。
ジョージ・フレデリック・ワッツ筆
原綴
Alfred Tennyson
生没
1809–1892
出身
リンカンシャー州サマーズビー
イギリス
時代
ヴィクトリア朝

生涯

1809年、イングランド東部リンカンシャー州の牧師の家に生まれた。ケンブリッジ大学で学び、早くから詩才を認められた。

大学時代の親友アーサー・ハラムの、若すぎる死は、テニスンに深い衝撃を与えた。この喪失の悲しみと、そこからの信仰の回復を、十七年をかけてうたい上げたのが、代表作『イン・メモリアム』である。この作品の成功によって、テニスンの名声は決定的なものとなった。

1850年、国王の任命する桂冠詩人(ポエット・ロレート)に選ばれた。これは、国を代表する詩人に与えられる、名誉ある地位である。以後、半世紀近くにわたってこの職にあり、時代の出来事や感情を代弁する、国民的な詩人として敬愛された。1892年に没した。

作風

テニスンの詩の最大の魅力は、その音楽性にある。言葉の響きとリズムを、きわめて繊細に磨き上げ、なめらかに流れる、美しい詩句をつむいだ。声に出して読んだときの快さにおいて、テニスンに並ぶ詩人は少ない。

主題は、幅広い。友の死への哀悼、信仰と疑い、過ぎ去った時への郷愁、そして英雄の物語。とりわけ、中世のアーサー王伝説を好んで扱い、その世界を、荘厳で美しい詩によみがえらせた。過去の物語を通して、勇気や名誉、義務といった、時代が尊んだ理想を描いた。

その詩は、時代の感情を代弁するものだった。信仰が科学によって揺らぎ、社会が急速に変化するヴィクトリア朝にあって、テニスンは、人々の不安と希望を、美しい言葉に結晶させた。個人の内面の孤独を掘り下げるよりも、時代と国民に向けて語る、公的な詩人だった。

作品

『イン・メモリアム(In Memoriam A.H.H.)』(1850年)

若くして死んだ親友への哀悼を、長い年月をかけてうたった連作詩である。深い悲しみから、疑いと苦悩を経て、信仰と希望を回復するまでの、心の道のりをたどる。個人的な悲しみを、時代全体の信仰の問題にまで高めた、テニスンの代表作にあたる。

『国王牧歌(Idylls of the King)』(1859-1885年)

中世のアーサー王と円卓の騎士の伝説を、一連の物語詩に描いた作品である。理想の王国の栄光と、その崩壊を、荘厳な詩でうたった。

「シャロットの女」「ユリシーズ」など、名高い抒情詩・物語詩も数多く残している。

文学史における立ち位置と影響

テニスンは、ヴィクトリア朝を代表する国民的詩人として文学史に名を残す。半世紀近く桂冠詩人を務め、時代の感情を、比類のない音楽的な言葉でうたい上げた。その詩は、当時のイギリス人の心の風景そのものだった。

その流麗な詩は、当時、絶大な人気を博した。だが、時代の理想を美しく代弁したがゆえに、後の世代からは、ヴィクトリア朝の価値観と結びつきすぎていると見られることもあった。同時代のブラウニングが、人間心理の複雑さを掘り下げたのと対照的である。

とはいえ、その言葉の音楽性と、詩句の美しさは、時代の変化を超えて評価されている。イギリス抒情詩の伝統における、卓越した技巧の詩人として、その地位は揺るがない。

作品

登場する文学史