桜の園
- 原題
- Vishnyovy sad
- 作者
- アントン・チェーホフ
- 成立
- 1904
- 国
- ロシア
- 時代
- 銀の時代
概要
1903年に書き上げられ、1904年1月にモスクワ芸術座で初演された四幕の戯曲である。チェーホフの最後の作品で、初演の半年後に44歳で死去した。
舞台は、ロシアのある地方の領地。女地主ラネーフスカヤの一家は、借金のために屋敷と桜の園を競売にかけられようとしている。園を守るための現実的な方法は一つ提示されているが、誰もそれを実行しない。四幕を通じて、登場人物は語り、思い出し、議論し、そのあいだに屋敷は他人の手に渡る。
この戯曲では、決定的な出来事がすべて舞台の外で起きる。競売は第三幕の裏で行われ、結果だけが報告される。舞台上で起きるのは会話と、その会話が噛み合わないことだけである。
チェーホフはこの作品を喜劇と呼び、二幕目には笑劇の要素すらあると述べていた。演出したスタニスラフスキーは悲劇として上演し、作者は不満を漏らしている。この食い違いは、上演史を通じて続いている。
執筆時、チェーホフの結核は末期に近かった。ヤルタで療養しながら書き、一日に数行しか進まない日もあったと手紙に記している。1903年10月に脱稿し、翌年1月17日、モスクワ芸術座で初演された。この日はチェーホフの誕生日にあたり、初日は劇の上演と作家生活二十五年の祝典を兼ねた催しになった。会場に呼び出されたチェーホフは体調が悪く、立っているのがやっとだったと伝えられる。同年7月、ドイツの保養地で死去した。
素材には実体験がある。チェーホフの少年時代、父の経営が破綻して生家が競売にかけられ、その家を買ったのは父の知人だった。一家はモスクワへ移り、少年チェーホフだけがしばらく故郷に残っている。
作者と演出家の対立はよく知られている。チェーホフは登場人物を滑稽な人間として書いたと考えており、ラネーフスカヤを泣かせすぎだと繰り返し訴えた。スタニスラフスキーは、この作品は悲劇であり、作者は自作を分かっていないと反論している。台本の指定にある音響——弦が切れるような遠い音——の解釈も、上演ごとに異なる。
文学史における評価と影響
19世紀の演劇では、対立する意志が衝突して事件が起き、決着がつくという構造が基本にあった。この作品にはそれがない。誰も明確に敵対せず、悪人もいない。桜の園が失われるのは、誰かが奪うからではなく、誰も手を打たないからである。 事件が起きない劇でも二時間を持たせられることを示した点が、20世紀の演劇に道を開いた。
会話は噛み合わない。ある人物が真剣な話をしている隣で、別の人物が玉突きの得点を数え、また別の人物が食べ物の話をする。人物は互いに聞いておらず、それぞれの言葉が並行して流れる。この書き方は、後のベケットやピンターの劇にまで影響が及んでいる。
社会的な内容も明確である。1861年の農奴解放から四十年余りが経ち、土地を持つ貴族が没落し、農奴の子孫が資本を持つ側に回っている。ロパーヒンは悪役ではなく、最後まで一家を助けようとし続けた人物として書かれている。新旧の交代を、どちらかの立場から裁かずに提示した点が、この戯曲の視線にあたる。革命の十三年前にあたる。
最後に取り残されるフィールスは、農奴解放を不幸と考えている老人である。解放されても行く先がなかった世代を代表しており、その人物が家に閉じ込められて終わる結末は、繰り返し論じられてきた。
日本では大正期から上演され、新劇の主要な演目であり続けている。世界の劇場でも上演回数が多く、翻案も数多く作られている。
あらすじ
第一幕。五月。パリから五年ぶりに、女地主ラネーフスカヤが娘アーニャを連れて帰ってくる。屋敷では桜が満開である。かつて農奴だった父を持つ商人ロパーヒンが、幼い日にこの家の女主人にやさしくされた記憶を語る。屋敷は八月に競売にかけられることが決まっている。ロパーヒンは解決策を示す。桜の園を切り、土地を区画に分けて別荘地として貸せば、借金は返せるという。ラネーフスカヤと兄ガーエフは、桜の園を切るなど考えられないと言って取り合わない。
第二幕。夏の夕方、野原。ロパーヒンは繰り返し提案するが、決断は先延ばしにされる。学生トロフィーモフが、ロシアの知識人は口ばかりで何もしていないと演説する。アーニャはその言葉に心を動かされ、園に執着することをやめようと言う。遠くから、弦が切れるような音が響く。誰にも由来が分からない。
第三幕。八月二十二日、競売の当日。屋敷では、金もないのに楽団を呼んで舞踏会が開かれている。誰もが結果を待ちながら、踊り、手品を見て、身の上を語る。夜、ロパーヒンとガーエフが帰ってくる。ロパーヒンが自分で競り落としたことを告げる。父も祖父も奴隷として働いた、この台所にすら入れてもらえなかった土地を、自分が買ったと言い、酔って笑い、泣き、楽団に音楽を続けさせる。ラネーフスカヤは椅子に座り込んで泣いている。
第四幕。十月。一家は屋敷を出る。ラネーフスカヤはパリの愛人のもとへ戻る。金は伯母から送られたわずかな額しかなく、すぐに尽きる。アーニャは働きながら勉強すると言い、ガーエフは銀行に職を得る。ロパーヒンが養女ワーリャに求婚するかどうかは、最後まで宙に浮いたままになる。全員が去り、家に鍵がかけられる。八十七歳の老僕フィールスが、忘れられて屋敷の中に取り残されている。横になり、自分の一生は過ぎてしまったと呟く。遠くで再び、弦の切れるような音がする。斧が桜の木を打つ音が続く。