ジョアシャン・デュ・ベレー
- 原綴
- Joachim du Bellay
- 生没
- 1522–1560
- 出身
- アンジュー地方リレ(現・メーヌ=エ=ロワール県)
- 国
- フランス
- 時代
- 16世紀
生涯
1522年、アンジュー地方のリレ(現・メーヌ=エ=ロワール県)の貴族の家に生まれた。幼くして両親を失い、病がちな少年時代を送った。パリの学寮で古典を学び、そこでロンサールと出会って、生涯の盟友となった。
二十代の後半、フランス詩の革新をめざす一団「プレイヤード派」の理念を、一冊の宣言にまとめた。これがデュ・ベレーの名を高めた。
三十歳前後に、枢機卿である親戚に随行してローマに渡り、数年を過ごした。古代ローマの遺跡に感動する一方、当時の教皇庁の腐敗や、故郷を離れた寂しさに苦しんだ。この滞在の経験が、代表作の詩集に結ばれた。帰国後まもなく、1560年に若くして没した。
作風
デュ・ベレーの詩は、個人的な感情の率直な吐露に特徴がある。派手な技巧よりも、寂しさや望郷、幻滅といった内面の思いを、静かに、しみじみとうたう。この繊細な叙情が、盟友ロンサールの豪奢な詩とは異なる、デュ・ベレー独自の魅力である。
代表作『哀惜詩集』の詩は、ローマでの日々の失望と、故郷フランスへの思いをうたう。「幸いなるかな、オデュッセウスのように、よき旅をした者は」と始まる一篇は、放浪ののちに故郷へ帰る幸福を、古代の英雄になぞらえてうたう。ローマの壮麗な宮殿よりも故郷の小さな村を慕う「わが小さきリレ」の一句とともに、望郷の名詩として知られる。
古代ローマの栄光と、その廃墟をうたった詩もある。かつての偉大な都が、いまや遺跡と化しているさまに、栄華のはかなさを見た。過ぎ去ったものへの哀惜が、デュ・ベレーの詩の基調をなす。
作品
『フランス語の擁護と顕揚(Défense et illustration de la langue française)』(1549年)
プレイヤード派の宣言にあたる評論である。当時、学問や文学の言葉はラテン語が中心だった。デュ・ベレーは、フランス語こそ豊かな文学を生みうる言語だと主張し、古典に学びつつフランス語で書くことを高らかに宣言した。フランス語による文学の自立を告げる文書とされる。
『哀惜詩集(Les Regrets)』(1558年)
ローマ滞在中の失望と望郷を、率直にうたったソネット集である。理想と現実の隔たり、故郷への思いを、飾らぬ言葉でとらえた。デュ・ベレーの代表作にあたる。
『フランス語の擁護と顕揚』と同じ年に出した『オリーヴ(L'Olive)』は、フランス語による最初のまとまったソネット集で、宣言を自ら実作で示したものである。古代ローマの廃墟をうたった『ローマの古跡(Les Antiquités de Rome)』も名高い。
文学史における立ち位置と影響
デュ・ベレーは、フランス・ルネサンスの詩を代表する詩人の一人として文学史に名を残す。とりわけ『フランス語の擁護と顕揚』は、母語による文学の宣言として、フランス文学史の出発点の一つに位置づけられる。
盟友ロンサールが豪華絢爛な詩でプレイヤード派の頂点に立ったのに対し、デュ・ベレーは繊細な叙情でその真価を示した。とりわけ望郷や幻滅をうたった詩は、後世に長く愛された。
母語で書くことの意義を理論と実作の両面で示したデュ・ベレーの仕事は、フランス語による文学の礎を築いた。近代フランス詩は、この宣言を一つの起点として展開していく。