谷崎潤一郎

- 原綴
- Tanizaki Jun'ichirō
- 生没
- 1886–1965
- 出身
- 東京市日本橋区(現・東京都中央区)
- 国
- 日本
- 時代
- 近代
生涯
1886年、東京・日本橋の商家に生まれた。裕福な家だったが少年期に家運が傾き、援助を受けて進学した。東京帝国大学に入るが、学費を払えず中退している。
1910年、『刺青』で文壇に出た。官能的で唯美的な作風は、当時主流だった自然主義の地味な写実とは対照的で、早くから注目された。
転機は関東大震災(1923年)である。東京の壊滅を機に関西へ移り住み、これを境に作風が大きく変わった。西洋志向・都会趣味から、関西の風土と日本の古典美へと向かう。私生活も作品と絡んで話題になった。妻を友人の作家佐藤春夫に譲るという「細君譲渡事件」を連名の挨拶状で公表し、世間を騒がせている。
戦後も旺盛に書き続け、文化勲章を受章、晩年は日本を代表する大家として遇された。1965年、79歳で死去した。
作風
谷崎は、美と官能を道徳から切り離して書いた作家である。初期の『刺青』痴人の愛では、男が女に隷属していく関係、支配と被支配が反転する構図を主題にした。善悪の判断を持ち込まず、ひたすら美と欲望に忠実に書く。倫理を脇に置くこの姿勢が、当時の告白的で道徳臭の強い文学への反発になっていた。
関西移住後は、日本の古典的な美意識へ転じた。細雪では、大阪の旧家の四姉妹の日常を、事件らしい事件を起こさずに、優美な文章でゆったりと描く。何も起きないのに読ませる筆力が、この時期の到達点である。
文体そのものも実験した。春琴抄は、句読点と改行を極端に減らした流れるような文章で書かれ、その文体自体が、盲目の師匠に仕える弟子の陶酔した世界と一体になっている。随筆陰翳礼讃では、西洋の明るさに対して、日本の暗がりが生む美——漆器の艶、障子越しの光——を論じた。この随筆は建築や意匠の分野でも今なお参照される。
作品
痴人の愛(1924〜25年)
出世作である。主人公が少女ナオミを育てるうちに、逆に彼女に翻弄され隷属していく、支配関係の反転を描く。
春琴抄(1933年)
盲目の三味線師匠春琴と、彼女に仕える弟子佐助の物語で、句読点を抑えた特異な文体で知られる。
陰翳礼讃(1933〜34年)
日本の美意識をめぐる随筆で、文学以外の読者にも広く読まれている。
細雪(1943〜48年)
代表作である。大阪・船場の旧家の四姉妹の日常を描いた長篇で、戦時下に「時局に合わない」として軍部から連載中止を命じられ、戦後に完成した。滅びゆく上流の暮らしへの哀惜がこもる。
このほか、源氏物語の現代語訳を生涯に三度完成させた。作家による古典翻訳としては例外的な規模である。
文学史における立ち位置と影響
谷崎は「耽美派(唯美主義)」を代表する作家である。永井荷風、泉鏡花とともに、自然主義の告白と道徳臭への反発として位置づけられる。美そのものに価値を置くこの姿勢は、ヨーロッパの唯美主義と重なる。
作風の転換が際立って明確な作家でもある。西洋志向・官能の初期から、関西移住後の古典回帰へ——同じ作家とは思えない振れ幅を持ちながら、「美への忠実さ」という一点は一貫している。
海外での評価も早くから高かった。三島由紀夫や川端康成と並び、ノーベル文学賞の候補として名前が挙がっていたとされる。官能を扱いながら通俗に堕さず、日本語の文章表現の可能性を押し広げた点で、近代日本文学の最重要作家の一人とされる。著作権保護期間は満了している。