断腸亭日乗

作者
永井荷風
成立
1917-1959
日本
時代
近代

概要

荷風が四十二年間、死の前日まで書き続けた日記である。

荷風は、一九一七年から、亡くなる前日まで、この日記を書き続けた。「断腸亭」は荷風の号、「日乗」は日記の意である。 四十二年に及ぶこの記録は、日本近代文学における日記文学の傑作とされる。

内容は多岐にわたる。その日の天候、食べたもの訪れた場所、読んだ本、そして街で見聞きしたこと。 荷風は、隠者のように世間から距離を置き、東京の街をさまよい歩いては、その観察を淡々と書きとめた。

この日記の価値は、とりわけ戦争の時代の記録にある。日本が軍国主義へと突き進み、太平洋戦争へ、そして敗戦へと至る時代を、荷風は冷徹な批評眼で見つめた。軍部や、それに迎合する世間を、荷風は日記のなかで痛烈に批判する。 時流に流されず、孤高を保った荷風の姿勢が、そこには貫かれている。

東京大空襲で自宅(偏奇館)が焼ける日の記述も名高い。すべてを失いながらも、荷風はなお冷静に、その日の出来事を書きとめる。個人の暮らしと、激動の時代とが、四十二年の日記のなかで交差している。

文学史における評価と影響

永井荷風の代表作の一つであり、日本近代の日記文学の最高峰とされる。

この日記の第一の価値は、四十二年間という、その持続の長さにある。一九一七年から一九五九年の死の前日まで、荷風は一日も欠かさぬほどに書き続けた。一人の作家の日常と思索が、これほど長期にわたって記録された例は、他に類を見ない。

時代の証言としての価値も、きわめて高い。荷風がこの日記を書いた時期は、日本が軍国主義に染まり、破滅的な戦争へと突き進んだ時代と重なる。荷風は、その時流に背を向け、軍部や世間の熱狂を、冷ややかに、痛烈に批判し続けた。 大勢に流されず孤高を保った知識人の記録として、この日記は貴重である。

荷風の文体も高く評価される。簡潔で、格調高く、時に辛辣なその文章は、日記でありながら、一個の文学作品として読まれるだけの完成度を持つ。荷風の美意識と批評精神が、日々の記録のなかに、凝縮されている。

時代への迎合を拒み、失われゆく江戸の情緒を愛し、孤高に生きた荷風。その生涯の姿勢と思索の全体が、この四十二年の日記に刻まれている。 荷風という作家を理解するうえで、欠かせない作品にあたる。

内容

『断腸亭日乗』は永井荷風が、一九一七年から書き始め、亡くなる前日の一九五九年まで、四十二年間にわたって書き続けた日記である。「断腸亭」は荷風の号であり、「日乗」は日記を意味する古い言葉である。

日記に記されるのは、荷風の日々の暮らしである。その日の天候。食べたものや、飲んだ酒。訪ねた場所や、会った人。読んだ本や、書いた原稿。 荷風は、世間から距離を置いた隠者のように暮らし、東京の街を一人さまよい歩いては、目にした風物を淡々と書きとめた。

とりわけ、荷風は、東京の街のうつろいに、鋭い関心を寄せる。近代化のなかで消えていく江戸以来の情緒、下町の路地、川べりの風景。失われゆくものへの愛惜が、日記の底に、絶えず流れている。

この日記が、単なる身辺の記録を超えて重みを持つのは、それが日本の激動の時代と重なっているからである。

日記の年月が進むにつれ、日本は軍国主義へと傾き、戦争への道を突き進んでいく。荷風は、その時流に、はっきりと背を向ける。 軍部の横暴、言論の統制、そして戦争に熱狂する世間を、荷風は日記のなかで、冷ややかに、痛烈に批判し続ける。世間が戦争を賛美するなかで、荷風は孤高を保ち、その愚かさを見つめ続けた。

そして、戦争は荷風自身をも襲う。一九四五年、東京大空襲によって、荷風の住まい「偏奇館」は焼け落ちる。 長年住み慣れた家と、蔵書を失いながらも、荷風はなお冷静に、その日の惨状を書きとめる。焼け出された後の各地を転々とする苦しい避難生活も、日記には淡々と記される。

戦後、荷風は、変わりゆく世相をなお冷ややかに見つめながら、日記を書き続けた。そして一九五九年、荷風は一人きりの家で世を去る。日記は、その死の前日まで、続けられていた。

個人の慎ましい暮らしと、破滅へ向かう時代。その両方を、冷徹な批評眼で記録し続けたこの四十二年の日記は、荷風文学の到達点の一つとなっている。

作者

登場する文学史