ダンヌンツィオ

原綴
Gabriele d'Annunzio
生没
1863–1938
出身
ペスカーラ(中部イタリア・アブルッツォ州、アドリア海沿岸)
イタリア
時代
20世紀以降

生涯

1863年、アドリア海に面したペスカーラに生まれた。十六歳で詩集を自費出版し、早熟の才能として注目される。二冊目を売るために、自分が落馬で死んだという偽の報せを新聞に流させた、という逸話が伝わる。生涯を通じて、自分をどう見せるかに執着した人物だった。

ローマへ出て、詩と小説を次々に発表した。同時に華やかな私生活が絶えず話題になる。当代随一の女優エレオノーラ・ドゥーゼとの関係はとくに知られている。豪奢な暮らしで莫大な借金を抱え、債権者から逃れてフランスに滞在した時期もあった。

第一次大戦が生涯を変えた。イタリアの参戦を激しく煽り、開戦後は五十代で自ら従軍する。飛行機に乗ってウィーン上空まで飛び、ビラを撒いた。事故で片目を失いながら戦い続け、戦争の英雄になった。

戦後、さらに劇的な行動に出る。1919年、講和会議でイタリアへの帰属が認められなかったアドリア海の都市フィウメ(現在のクロアチアのリエカ)を、義勇兵を率いて占領した。そこに独立国家を宣言し、自ら統治者になる。統治は一年余りで終わったが、そのやり方が後に大きな意味を持つことになった。

ファシスト政権下では名誉ある地位を与えられたが、実権からは遠ざけられた。湖畔の豪邸に囲われるように暮らし、1938年に死去する。七十五歳だった。

作風

言葉が絢爛である。珍しい語や古語を選び、凝った比喩を重ねる。色、香り、音、肌触りといった感覚の描写が、過剰なほど積み上げられる。この言葉の饗宴が魅力であり、同時に批判の的でもあった。

主題は美と快楽と力である。初期の小説『快楽』の主人公は、美の追求だけに生きるローマの貴族にあたる。この人物にとって生きるとは、自分の生涯を芸術作品のように作り上げることを意味する。この立場を耽美主義といい、同じ時期のヨーロッパにはワイルドやユイスマンスといった同類がいた。

ニーチェの影響も大きい。凡俗な道徳を超えた優れた個人という考え方を、自分に都合よく解釈して受け取った。この思想が作品と生き方の両方を貫いている。

自然の描写には確かな力がある。故郷アブルッツォの風景や海を詠んだ詩には、感覚の鋭さがはっきり出ている。詩集『アルキュオネー』所収の「松林の雨」は、松林に降る雨の音を、言葉そのものの響きで再現しようとした詩として名高い。

戯曲も書いた。女優ドゥーゼのために書かれた劇は、当時大きな成功を収めている。

そして生活そのものを作品として扱った。文学と私生活と政治的行動が分かれていない。すべてが一つの演出の一部として構想されている。

作品

『快楽(Il Piacere)』(1889年)

初期の代表作である。耽美主義の宣言と見なされてきた。

『死の勝利(Il Trionfo della Morte)』(1894年)、『炎(Il Fuoco)』(1900年)などの小説がある。『炎』はドゥーゼとの関係を露骨に書いて物議をかもした。

詩集『ラウディ(Laudi)』(1903年〜)が詩人としての代表作である。全4巻のうち、第3巻『アルキュオネー(Alcyone)』の評価が最も高い。「松林の雨」はこの巻にある。

戯曲に『フランチェスカ・ダ・リミニ(Francesca da Rimini)』『ヨーリオの娘(La Figlia di Iorio)』などがある。

日本語では詩の抄訳と小説の訳がある。

文学史における立ち位置と影響

20世紀初頭のイタリアで圧倒的な影響力を持った。

言葉の面での達成は認められている。イタリア語の可能性を限界まで押し広げた文体であり、とくに詩の音楽性には比べるものがない。

ただし評価は常に両義的だった。豪奢な言葉の下に中身があるのか、感覚の羅列にすぎないのではないか、という批判は生前から繰り返された。次の世代の詩人モンターレは、この種の雄弁をはっきり拒み、簡潔で硬い詩へ向かう。20世紀イタリアの詩は、ダンヌンツィオを否定するところから始まった、とも言われる。

評価を難しくしているのは政治的な位置である。フィウメ占領のとき、ダンヌンツィオはバルコニーから群衆に演説し、群衆が決まった文句で応じる形を作った。制服、標語、儀式、ローマ式の敬礼。これらの様式を、ムッソリーニがそのまま持ち込んでファシズムの表現形式にした。本人はファシスト党員ではなかったが、その美意識がファシズムを準備したことは否定できない。

文学と政治の関係を考えるうえで重要な事例になっている。美を追い求めることが、どうして政治的な暴力と結びつくのか。ベンヤミンが論じた「政治の美学化」の最も分かりやすい例として、しばしば引かれる。

日本での受容は明治末から大正期に進んだ。その耽美的な作風は永井荷風谷崎潤一郎に影響を与えている。三島由紀夫もその生き方に強い関心を寄せた。

登場する文学史