プロペルティウス

原綴
Sextus Propertius
生没
前50頃–前15頃
出身
アッシシウム(中部イタリア・現ウンブリア州アッシジ)
ローマ
時代
黄金期

生涯

前50年頃、中部イタリアのアッシシウム(現在のアッシジ)に生まれた。裕福な家の出だが、内乱の後に土地を没収され、財産の一部を失ったと伝えられる。

若くしてローマへ出た。家柄からすれば、法廷で弁論を行い政治家になる道が期待される立場だった。それを選ばず詩人になっている。当時のローマで詩人になるとは、公の経歴を捨てるということでもあった。

詩の才はマエケナスの目に留まった。皇帝アウグストゥスの側近で、ウェルギリウスホラティウスの生活も支えた人物である。「メセナ」という語の語源になったほどので、その庇護を受けたことは詩人としての公認を意味した。

生涯と詩を貫くのは一人の女性への愛である。詩のなかでは「キュンティア」と呼ばれる。実在の女性がもとになっていると考えられているが、本名も素性も分かっていない。この恋の喜びと苦しみ、嫉妬と和解が、詩のほぼすべての主題になった。

キュンティアとの関係が終わった後、恋愛詩から離れ、ローマの起源や祭りを扱った詩を書くようになる。前15年頃、四十歳前後で死去したと考えられている。

作風

プロペルティウスが書いたのはの形式による恋愛詩である。もともとは死者を悼む詩の形式だったが、ローマでは恋を歌うのに使われた。

その恋の描き方が独特である。プロペルティウスは自分を「愛の奴隷」と規定する。恋する者が恋人に奴隷のように仕える、という構図で、ラテン語で「セルウィティウム・アモリス(愛の隷従)」と呼ばれる。相手の機嫌に一喜一憂し、締め出されれば戸口で夜を明かし、他の男の影に苦しむ。誇りを捨てた状態を、恥じるどころか誇ってみせる。

そして、この恋こそが生きる意味だと宣言する。政治にも戦争にも出世にも関心がない、と繰り返し書いた。これは単なる怠惰の表明ではない。当時アウグストゥスは、内乱で乱れた風紀を立て直すとして、結婚と出産を国民に奨励する法を出していた。恋に生きて公の務めを拒むと言い切ることは、その方針に背を向けることでもあった。

詩そのものは難しい。神話への言及が非常に多く、自分の恋の局面を神話の人物になぞらえて語る。誰の話をしているかが分からないと意味が取れない箇所が多く、ラテン詩のなかでも読解の難しい詩人とされる。連想が飛ぶうえに語を切り詰めるので、注なしで読み通すのはほぼ不可能に近い。

死のイメージも繰り返し出てくる。愛を語りながら自分の葬儀を想像し、墓碑に刻まれる文句を書く。第4巻には、死んだキュンティアが亡霊となって枕元に現れ、生前の扱いを責める詩がある。

作品

4巻からなる『詩集(Elegiae)』が残っている。

第1巻は『キュンティア(Cynthia)』の通称で呼ばれる。恋の始まりを詠んだ初期の詩集で、これによって一躍知られるようになった。

第2巻と第3巻は、恋の喜びと苦しみをさまざまな角度から詠む。嫉妬、口論、和解、別れの決意とその撤回。同じ恋を延々と書き続けている。

第4巻で作風が変わる。ローマの地名の由来や祭りの起源を扱った詩が増える。キュンティアの亡霊が現れる詩もこの巻にある。

日本語では抄訳がある。注の多い版で読まないと神話への言及が追えない。

文学史における立ち位置と影響

オウィディウス、ティブッルスと並ぶ、ローマの恋愛詩の代表的な書き手である。

カトゥルスが始めた、特定の女性への個人的な恋を詩にする書き方を受け継いだ。カトゥルスのレスビア、プロペルティウスのキュンティア、オウィディウスのコリンナと、実在の女性を思わせる相手に名を付けて歌う形が、この時期のローマ詩に定着する。そのなかでプロペルティウスは、感情の激しさで際立っている。

後世への影響が最も大きいのは「愛の隷従」という構図である。恋人を主人として仰ぎ、その命令に従い、拒まれても離れない。この型は中世ヨーロッパの宮廷風恋愛の詩に受け継がれた。貴婦人に忠誠を誓う騎士という図式は、遠くローマの恋愛詩に源を持つ。

近代の詩人にも読まれた。ドイツのゲーテは『ローマ悲歌』で、ローマの恋愛詩の形式に倣って自分の恋を詠んでいる。イギリスの詩人エズラ・パウンドは『プロペルティウスへのオマージュ』で、この詩人の口調を現代英語に移し替えた。

難解であることは、受容の妨げであると同時に、専門の詩人や研究者を惹きつける理由にもなってきた。

日本での受容は、ローマ恋愛詩への関心のなかで進んだ。カトゥルスオウィディウスとともに紹介されている。

登場する文学史