カトゥルス

原綴
Gaius Valerius Catullus
生没
前84頃–前54頃
出身
ウェローナ(北イタリア・現ヴェネト州ヴェローナ)
ローマ
時代
共和政期

生涯

前84年頃、北イタリアのウェローナの裕福な家に生まれた。父は地方の名士で、カエサルが北イタリアに来たときに客として迎えるほどの間柄だったと伝えられる。

若くしてローマへ出た。共和政の末期で、内乱と政争の続く時期にあたる。カトゥルスは政治に深く関わらず、同世代の詩人たちの仲間に加わった。彼らはギリシャの新しい詩を手本に、それまでのローマの荘重な詩とは違う、短く磨き上げた個人的な詩を目指している。後世この一群を「新詩人」と呼ぶ。

生涯は一人の女性への恋によって彩られている。詩のなかでは「レスビア」と呼ばれる。身分の高い既婚の女性クローディアがそのモデルだと考えられている。恋の始まりから、相手の心変わり、裏切り、破局までが、そのまま詩の順に刻まれている。

弟の死も大きな痛手だった。小アジア(現在のトルコ)で死んだ弟の墓を旅の途中に訪れ、そこで詠んだ哀悼の詩が残っている。

三十歳前後で死んだ。前54年頃と考えられている。

作風

書かれているのは、そのときそのときの感情である。恋の絶頂、疑い、裏切られた怒り、それでも離れられない自分への嫌悪。感情が変わるたびに一篇が書かれ、順に並んでいる。

「私は憎み、そして愛する(odi et amo)」の二語で始まる二行詩がよく知られている。なぜそうなるのかは自分でも分からない、ただそうなるのを感じて苦しんでいる、と続く。全部で十数語の短い詩にすぎない。

言葉づかいが率直である。改まった詩語を避け、日常の話し言葉に近い言葉で書く。愛の言葉も、悪態も、卑猥な言い回しも同じ調子で使う。当時の詩の常識からすれば粗野に見えたはずだが、その直接さがこの詩人の身上になっている。

レスビアが飼っていた雀を詠んだ詩がある。膝の上で戯れる雀を眺める詩と、その雀が死んだときの哀悼の詩が対になっており、いずれもよく知られる。恋人の日常のささやかな部分に目を向ける、という書き方もここに始まる。

一方で、気に入らない相手を攻撃する詩も多い。相手の名を挙げて容赦なく罵る。カエサルさえその対象になった。愛と憎しみのどちらも、同じ率直さで書いている。

短い詩を得意としたが、神話を題材にした長い詩も書いた。そのうち「アッティス」は、女神キュベレーの信者となった青年が熱狂のうちに自らを去勢し、正気に返って絶望する、という激しい作品である。

作品

作品は一冊の詩集としてまとまって伝わった。116篇からなる。おおむね、短い詩、長い詩、二行詩の三つの部分に分かれる。

レスビアへの恋愛詩がその中心にある。「生きよう、レスビアよ、そして愛そう」で始まり、接吻の数を数え続ける詩と、「憎み、そして愛する」の二行詩がとくに知られる。

弟の死を悼む詩(第101歌)は、多くの民と多くの海を越えてここまで来た、と述べて墓に別れを告げる。この一篇は今日でも葬儀で朗読されることがある。

「アッティス」「ペレウスとテティスの婚礼」は、神話を題材にした長い詩にあたる。

政敵や知人への諷刺と悪罵の詩も多く含まれる。

日本語では詩集の訳がある。

文学史における立ち位置と影響

ローマの抒情詩の頂点とされる。個人の内面をこれほど直接に書いた詩人は、それ以前にいなかった。

ギリシャの詩をローマに移した点でも重要である。サッポーの有名な恋の詩を、ラテン語に翻案している。愛する人を見ると舌がこわばり、耳が鳴り、目の前が暗くなる、という詩である。この翻案を通して、恋を身体の症状として描く方法がローマの詩に入った。サッポーが使った詩形もラテン語に移している。恋人を「レスビア」と呼んだのも、サッポーの住んだレスボス島にちなむ。

後のローマの詩人たちが、この道を進んだ。オウィディウスプロペルティウス、ティブッルスといった詩人が、実在の女性を思わせる相手に名を付けて恋を歌う形を受け継いでいる。

ルネサンス以降、西洋の恋愛詩に大きな影響を与えた。接吻を数える詩は繰り返し翻案され、各国語で模倣された。激しい感情を飾らずに書く、という抒情詩の型は、この詩人に源を持つ。

その詩集は中世にほとんど失われかけた。ただ一つ残っていた写本が、13世紀に故郷ウェローナで見つかったことで伝わったとされる。その写本自体も後に失われ、今日読めるのはそこから写された写本による。

日本での受容は、ローマ抒情詩への関心のなかで進んだ。率直な恋愛詩として高く評価されている。

登場する文学史