中古の日本文学 — 仮名の成立と源氏物語・枕草子

中古は、都が平安京にあった794年から1185年頃までを指す。この時代には、他の文学史にあまり例のない逆転がある。格下とされた文字で書かれたものが、その時代の最高の文学になった。なぜそうなったのかを順に見ていく。

平仮名は生まれた時点で「格下の文字」だった

9世紀、上代の万葉仮名に使われた漢字を崩して簡略にすることで、平仮名が生まれた。「安」を崩して「あ」、「以」を崩して「い」となる。並行して、漢字の一部分を取り出した片仮名も、僧侶が漢文を読み下す現場から生まれている。ここでようやく、日本語を日本語のまま、簡単に書ける文字ができた。

ところが、そこに序列が生まれる。

文字使う場担い手
真名(まな)漢字・漢文公的・政治・学問・仏教男性
仮名(かな)平仮名私的・和歌・手紙・物語女性

仮名という名称自体が「仮の字」を意味し、正式な文字ではないという位置づけを示している。当時は「女手(おんなで)」とも呼ばれた。

この序列が、逆説的に文学を生んだ。公的な文章は漢文で書かねばならず、型が決まっている。一方、仮名は格下ゆえに自由だった。何を書いてもよく、誰も規範を定めていない。

紀貫之は女を装って仮名で日記を書いた

その事情を最もはっきり示すのが紀貫之土佐日記(935年頃)である。

冒頭で作者は、男もするという日記というものを、女もしてみようと思って書く、という趣旨のことを述べる。男でありながら、女性を装って仮名で書いたことになる。

当時、男が書く日記は漢文で、公務の記録だった。 感情や旅の細部を書く場所ではない。土佐から京へ帰る旅を、亡くした娘への思いを含めて書くには、仮名で書くしかなく、そのためには女を装う必要があった。

紀貫之はまた、古今和歌集(905年)の撰者の一人であり、その仮名序を書いている。「やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける」で始まるこの文章は、日本で最初の本格的な文学論とされる。歌とは何か、なぜ人は歌うのかを論じている。

古今和歌集は最初のである。以後、『新古今和歌集』までの八つを八代集と呼び、そのうち最初の三つを三代集と呼ぶ。

三代集成立撰者
古今和歌集905年紀貫之ら4名
『後撰和歌集』951年頃梨壺の五人
『拾遺和歌集』1005年頃花山院か

物語・日記・随筆という分類の枠がここで出そろう

この時代に、日本の古典を分類する枠がほぼ出そろう。作り話を語る物語、和歌の成立事情を語る、体験を仮名で記す日記、思ったことを書き留める随筆である。物語は作り物語と歌物語の二系統に分かれ、これが合流して源氏物語になる。

系統作品成立作者
作り物語『竹取物語』9世紀末〜10世紀初未詳
作り物語『宇津保物語』10世紀後半未詳
作り物語『落窪物語』10世紀末未詳
歌物語伊勢物語10世紀未詳
歌物語『大和物語』951年頃未詳
日記土佐日記935年頃紀貫之
日記『蜻蛉日記』974年以降藤原道綱母
日記『和泉式部日記』1008年頃和泉式部
日記紫式部日記1010年頃紫式部
日記『更級日記』1060年頃菅原孝標女
随筆枕草子1000年頃清少納言
物語源氏物語1008年頃紫式部

時代の後半には、歴史を物語の形で語る歴史物語が現れる。『栄花物語』(11世紀後半)は藤原道長の栄華を年代順にたどり、『大鏡』(12世紀初め)は老人二人が昔語りをする形式で、道長の時代を批評をまじえて語る。説話では、仏教の因果を説く『日本霊異記』(822年頃)に続いて、今昔物語集(1120年頃)が編まれた。

宮廷に仕えた女性たちが主要な散文を書いた

10世紀末から11世紀初頭、宮廷に仕える女性たち(女房)が、仮名で書いた散文を残した。世界文学史の中でも特異な現象である。

女房は高い教養を持っていた。漢籍を読み、和歌を詠み、宮廷の人間関係を細かく観察する立場にいる。そして書くための文字が、ちょうどその手にあった。

枕草子は「をかし」で世界を切る随筆

清少納言枕草子(1000年頃)は随筆で、三百段ほどの短い章段からなる。「春はあけぼの」で始まる季節の描写、「うつくしきもの」「にくきもの」といった主題別の列挙、宮廷生活の回想の三つに分けて説明されることが多い。

判断の基準は徹底して「をかし」——知的に面白い、洒落ている、気が利いている——という感覚である。文章は速く、断定的で、容赦がない。気に入らないものを挙げる段では、しゃべる相手、いびきをかく男、遅れて来る牛車などを次々に切り捨てる。千年前の人間が何を鬱陶しいと思ったかが、そのまま残っている。

この「をかし」を、源氏物語の「あはれ」と対にして説明するのが通例である。前者は対象を離れて観察し、面白がる態度。後者は対象に触れて心が動く態度にあたる。

源氏物語は心理小説の始まりより六百年早い

紫式部源氏物語は五十四帖からなる長篇で、1008年には一部が読まれていたことが紫式部日記から分かる。

規模がまず異例である。四百字詰め原稿用紙にしておよそ二千四百枚、登場人物は五百人近い。主人公の光源氏が死んだ後も物語は続き、次の世代(薫と匂宮)の話になる。

内容は恋愛の遍歴だが、書かれているのはむしろ時間の経過と、それによって人が変わっていくことである。若い頃の恋の相手が老い、権勢を得た者が没落し、かつての栄華が回想される。物語の後半にあたる宇治十帖は色調が暗く、救いのない話になる。

この作品の位置は、年代を並べると分かる。

作品
日本源氏物語1008年頃
フランスローランの歌(武勲詩)1100年頃
フランスクレーヴの奥方(近代心理小説の出発点)1678年

ヨーロッパで心理小説が始まる六百年以上前に、紫式部は人の心の動きだけで長篇を書いていたことになる。

ただし注意も要る。「世界最古の小説」と呼ばれることがあるが、それは小説の定義次第であり、より古い長篇の散文作品は他の文明にもある。現存する長篇の物語として最も早い時期のものの一つ、と言うのが正確である。

日記文学は内面の苦痛を主題にした

和泉式部は情熱的な恋の歌で知られる。『和泉式部日記』は、皇子との恋を歌のやりとりを軸に描く。

菅原孝標女の『更級日記』は、少女時代に源氏物語を読みふけった記憶から始まり、老いて信仰に向かうまでの生涯を回想する。物語に憧れた一人の読者の生涯の記録として読める。

藤原道綱母の『蜻蛉日記』は、夫との関係の苦しみを書いた。夫を待つ夜、他の女のもとへ通う夫への嫉妬。自分の内面の苦痛を主題にした散文として早い例である。

男性は漢詩文を書き、説話集は別系統で育った

同じ時期、男性は漢詩文を書いていた。菅原道真がその頂点にあり、詩文集『菅家文草』(900年)を残している。大学寮では漢籍が学ばれ、白居易の『白氏文集』が最も広く読まれた漢籍の一つだった。源氏物語にもその影響がある。

また今昔物語集(1120年頃)はで、天竺(インド)・震旦(中国)・本朝(日本)の話を千以上集めている。貴族の物語とは違い、盗賊、下級役人、動物、庶民が出てくる。文体は漢字片仮名交じりで、貴族の仮名文とは別系統である。この説話は後に芥川龍之介羅生門などの素材にした(近代)。

中古が残したのは、仮名で書かれた散文の型

中身
文字の序列仮名は格下だった。それゆえ自由であり、それゆえ文学が生まれた
書き手の性別主要な散文の書き手が女性であることは、世界文学史でも稀
心理描写の早さヨーロッパの心理小説より六百年以上早い

なぜ日本でこの逆転が起きたのかは、日本文学研究の大きな主題である。女房という職掌の存在、宮廷の閉じた社交、男が女のもとへ通う婚姻の形など複数の要因が挙げられるが、定説が一つに定まっているわけではない。

日本文学の他の時代