清少納言

御簾の上がった室内で、十二単をまとって座る清少納言を描いた絵。
原綴
Sei Shōnagon
生没
966頃–1025頃
出身
京(現・京都市)・推定
日本
時代
中古

生涯

平安時代中期の女性で、一条天皇の后である中宮定子(ていし)に、女房として仕えた。女房とは、后や貴人に仕える教養ある侍女のことである。生没年も本名も分かっておらず、「清少納言」も本名ではなく女房名である。「清」は実家の清原氏に由来するとされる。

和歌の名家である清原氏に生まれ、父の清原元輔(きよはらのもとすけ)は著名な歌人だった。この家で身につけた漢学と和歌の教養が、後に宮仕えのなかで発揮されることになる。

定子に仕えたのは、990年代の初めから、定子が亡くなる1000年までの数年間とされる。この時期は、定子の父である藤原道隆の死後、藤原道長の一派へ権力が移り、定子の立場がしだいに苦しくなっていく時期にあたる。宮仕えを退いたのちの生涯は、はっきりしない。

作風

代表作枕草子は、三百ほどの短い章段からなる。内容は大きく三つに分けられる。「春はあけぼの」で始まる四季の描写、「うつくしきもの(かわいらしいもの)」「にくきもの(気にくわないもの)」のように主題ごとにものを挙げていく列挙、そして宮廷生活の回想である。

文章は、対象を細かく観察し、短く言い切っていく。たとえば「にくきもの」の段では、長話をする客、急ぐときに限って遅く来る牛車、口さがない人などを、次々に挙げていく。説明や理屈を省いて感じたことを端的に書くため、読む速度が速い。宮廷生活の回想でも、定子や周囲の人々のやりとりを、その場の機知とともに具体的に書きとめている。

清少納言の美意識は、しばしば「をかし」の語で代表される。「をかし」は、知的に面白い、洒落ている、明るく心をひかれる、という感覚を指す。ものごとにしみじみと感じ入る「もののあはれ」と並べて論じられることが多い。

作品

書き残した作品は、随筆枕草子にほぼ限られる。1000年ごろに成立したとされる。

枕草子

日本で最初の随筆とされる。宮廷での見聞、四季の風物、身のまわりのものごとへの感想を、章段ごとに書きとめたものである。章段は互いに独立しているため、どこから読み始めてもよい。冒頭の「春はあけぼの」の段がよく知られるが、観察の鋭さと文章の速さは、「にくきもの」のような列挙の段によく表れている。

文学史における立ち位置と影響

清少納言は、同時代の紫式部としばしば対比される。紫式部の源氏物語が「もののあはれ」を代表するのに対し、清少納言の枕草子は「をかし」を代表する、という整理である。ただしこの対比は、後世の文学史が分かりやすさのために立てたもので、実際にはどちらの作品にも両方の要素がある。

二人の関係は良好ではなかったと考えられている。紫式部は紫式部日記のなかで清少納言を批判している。ただし二人が宮仕えした時期はずれており、直接会ったかどうかは分かっていない。

枕草子は、後の方丈記鴨長明)、徒然草吉田兼好)と合わせて「三大随筆」と呼ばれる。この三つのなかで最も古く、日本の随筆というジャンルの出発点にあたる。

作品

登場する文学史