古今和歌集
- 作者
- 紀貫之
- 成立
- 905
- 国
- 日本
- 時代
- 中古
概要
天皇の命によって編まれた最初の和歌集である。全二十巻、約1100首。以後、江戸時代まで二十一の勅撰集が作られるが、その最初がこれにあたる。
最大の特徴は、歌の並べ方にある。作者別でも年代順でもない。主題によって分類され、その中でさらに順序が決まっている。
春の巻は、立春の歌から始まり、梅、桜、そして散る花へと進む。恋の巻は、まだ会っていない段階から始まり、噂を聞き、逢い、飽きられ、忘れられるまでが順に並ぶ。別々の人が別々のときに詠んだ歌を、一つの流れとして読ませる。 この配列そのものが編纂の仕事だった。
もう一つの特徴が、仮名で書かれた序文である。紀貫之による仮名序は、やまと歌は人の心を種として、という一文で始まる。歌とは何かを日本語で論じた最初の文章にあたり、日本の文学論の出発点とされる。
歌そのものの作りは技巧的である。掛詞、縁語、見立て。目の前の景色を詠むのではなく、頭の中で組み立てる。桜を雪に見立て、涙を川に喩える。感情を直接ぶつけるのではなく、理屈を通して表す。この作り方が、後に批判の的にもなる。
編纂は醍醐天皇の命による。撰者は紀貫之、紀友則、凡河内躬恒、壬生忠岑の四人。905年に奏上された。当時、公の場の文学は漢詩だった。 その時代に、天皇が日本語の歌を集めさせたこと自体が転換にあたる。
文学史における評価と影響
以後千年の和歌の規範になった。何を詠み、どう詠むかの基準がここで定まる。
とりわけ大きいのが、季節と恋を中心に据えたことである。万葉集にあった労働の歌、貧しさの歌、兵士の歌は、ここでほぼ消える。和歌が詠むべき主題の範囲が、この歌集で絞られた。 以後の勅撰集はすべてこの枠を踏襲する。
仮名序の影響も大きい。歌は人の心から生まれ、力を入れずに天地を動かす、と貫之は書く。ここで六人の歌人が評され、後に「六歌仙」と呼ばれるようになった。批評という行為が日本語で行われた最初の例にあたる。
歌の言葉を選ぶ基準も、ここで固まった。使ってよい語と使わない語が定まり、以後の歌人はこの範囲で詠むことになる。この制約が和歌を洗練させ、同時に狭くもした。
近代に入って、この歌集は激しく否定される。正岡子規は歌よみに与ふる書で、貫之は下手な歌よみであり、古今集はくだらぬ集である、と書いた。理屈で組み立てた技巧を退け、万葉集の直截さに戻れ、と主張した。この批判は決定的で、以後、古今集の評価は長く低いままだった。
再評価が進むのは20世紀後半である。技巧は欠点ではなく方法だという見方が広がった。目の前のものを写すのではなく、言葉によって世界を組み立てる。その意識的な作り方が、あらためて評価されている。
内容
仮名序。やまと歌は人の心を種として、よろづの言の葉となれりける——こう始まる。人は見るもの聞くものにつけて心を動かし、それを言葉にする。歌は力を入れずに天地を動かし、鬼神をも感動させ、男女の仲をやわらげる、と述べられる。
続いて、当時知られた歌人が評される。在原業平は心余りて言葉足らず、小野小町はよい女が病んでいるようだ、といった評が並ぶ。ここに挙がった六人が、後に「六歌仙」と呼ばれる。
巻一〜六——四季。春上・春下・夏・秋上・秋下・冬。歌は季節の進行順に並ぶ。春の巻は、年の内に春が来てしまったがこの日を去年と言おうか今年と言おうか、という歌から始まる。暦と実感のずれを詠んだ理屈の歌であり、この歌集の性格をよく示している。
巻十一〜十五——恋。恋一から恋五まで、恋の進行順に並ぶ。まだ相手を見ないうちの思い、噂、逢瀬、心変わり、そして忘れられた後。別人の歌が並んで一つの恋の経過を作る。
巻十六——哀傷。死者を悼む歌。
このほか、賀歌、離別、羈旅、物名(言葉を歌に隠し込む言葉遊び)、雑歌などが並ぶ。
紀貫之の歌が最も多く採られている。人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香に匂ひける、という歌が知られる。在原業平、小野小町、僧正遍昭らの歌も収められている。