日本中世

日本文学 中世

通史では、この時代を「和漢混淆文と、無常」と要約した。ここではその中身を開く。

まず前提を押さえる。この時代、文学の担い手と読者が変わった。

貴族が権力を失い、武士が実権を握る。戦乱が続き、飢饉と災害が重なる。中古の宮廷サロンで洗練された仮名文は、戦場の死や、都が焼ける光景を書くのに向いていなかった。

新しい主題には新しい文体が要る。それがこの時代の最初の課題だった。

和漢混淆文 — 新しい文体の発明

生まれたのが和漢混淆文である。漢語(硬く、力があり、簡潔)と和文(流れがあり、情感を運ぶ)を混ぜる。

なぜこれが必要だったか。具体的に考えると分かる。合戦の場面を書くには、武具の名、地名、動作を短く正確に示す語彙が要る。それは漢語にある。一方、滅びゆく者の心情を書くには和文の調べが要る。両方を一つの文章に入れる必要があった。

この文体は、以後の日本語の散文の基礎になる。今日の日本語の文章が漢語と和語を自在に混ぜているのは、この時代に確立した方式の延長にある。

平家物語 — 声で運ばれた歴史

平家物語は十三世紀の成立とされる。平家の栄華と滅亡を描く。

重要なのは、これが読まれる前に聞かれたということである。琵琶法師と呼ばれる盲目の芸能者が、琵琶を弾きながら語り歩いた。テキストは一つに定まらず、語りの系統ごとに異なる本が伝わっている。

冒頭が今日まで暗誦されるのは、それが目で読む文ではなく、声に出すための文だからである。

> 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり

七五調の連なりで、意味を取る前に音として体に入る。同じ理由で[フランスの武勲詩も声で語られていた](/france/moyen-age/)。両者に直接の関係はないが、文字を読めない聴衆に向けて長い物語を伝えるという条件が、似た形式を生んでいる。

内容の芯にあるのは無常である。勝者は必ず滅び、栄華は続かない。ただし平家物語はそれを教訓として説くのではなく、具体的な人物の死に方を通して見せる。敦盛を討たざるを得なかった熊谷直実、壇ノ浦で幼い天皇を抱いて入水する二位尼。

隠者の文学 — 世を捨てて書く

この時代に特徴的なのが、世俗を離れた者が書くという形である。

方丈記

鴨長明方丈記(一二一二年)は、冒頭で川の流れを引いて無常を語る。

だが本文の中心は災害の記録である。安元の大火、治承の辻風、養和の飢饉、元暦の大地震。彼はそれぞれについて、具体的に何が起きたかを書く。飢饉の際には都で四万人以上の死者を数えたという記述がある。

抽象的に無常を説くのではなく、実際に世界が壊れる場面を見た人間の報告になっている。 そのうえで彼は方丈(三メートル四方)の小屋に隠棲する。

しかし末尾で彼は自問する。閑居を楽しむこの心も、執着ではないのか。答えを出さずに終わる。

徒然草

吉田兼好徒然草(一三三〇年頃)は、同じ無常を扱いながら調子がまるで違う。

軽く、断片的で、時に意地が悪い。二百四十余段のうちには、有職故実の考証もあれば、説教もあり、失敗談の面白がりもある。「かくあるべし」と説いた直後の段で正反対のことを言うこともある。

有名な段では、花は満開だけを、月は曇りのないものだけを見るものだろうか、と問う。欠けたもの、途中のもののほうに趣があるという美意識で、これは後の日本の美学に長く影響した。

方丈記徒然草、そして枕草子中古)を合わせて三大随筆と呼ぶ。

和歌 — 技巧の極北

藤原定家らが撰した新古今和歌集(一二〇五年)は、勅撰和歌集の中でも技巧の密度が高い。

本歌取り(先行する歌の表現を意図的に取り込む)、体言止め、初句切れ。先行する歌の記憶を前提にして、そこからのずらしで効果を出す。 読み手が古典を知っていることを要求する、非常に高度な様式である。

一方、西行は武士の身分を捨てて出家し、各地を旅して歌を詠んだ。技巧よりも、旅と孤独と自然が主題になる。彼の生き方は後世の理想像となり、近世松尾芭蕉が明確に彼を意識している。

能 — そして演技論

世阿弥(一三六三年頃〜一四四三年頃)は父の観阿弥とともに能を大成した。

能は幽玄を旨とする。死者の霊が現れて過去を語り、舞い、消える。動きは極端に少なく、面は表情を変えない。 見る側が想像で補うことを前提にした様式である。

文学史上とりわけ重要なのが風姿花伝(風姿花伝、一四〇〇年頃)である。世阿弥が書き残した演技の理論書で、当初は一子相伝の秘伝として非公開だった(広く知られるのは明治末になってからである)。

内容は具体的である。年齢に応じた稽古の方法、観客の質による演じ分け、そして「花」——観客を感動させる力——をどう保つか。

有名な「秘すれば花なり」は、意外性がなくなれば感動も消えるという趣旨で、演出論として述べられている。

世界の演劇史を見ても、実演者自身がこの水準の理論を書き残した例は早い。 ヨーロッパで演劇論が体系化されるのは、フランス古典主義の十七世紀である。

この時代をどう読むか

中身
文体の発明和漢混淆文。今日の日本語の散文の基礎
声の文学平家物語は聞かれる文学だった
無常抽象論ではなく、災害と戦乱の実体験の上にある
理論の登場世阿弥が実演者として演技論を書いた

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