中世のフランス文学 — ローランの歌と宮廷風恋愛

中世のフランス文学は、1100年頃から1500年頃までを指す。

この時代の作品を今の感覚で黙読すると、たいてい退屈に見える。同じ言い回しが何度も出てきて、話の運びは単調で、心理描写がほとんどない。だがそれは書き手の技量の問題ではない。これらは読まれるためではなく、人前で声に出して演じられるために作られている。 前提が違う。そこを押さえずに読むと、中世文学はただ古くて拙いものに見えてしまう。

聞き手の多くは、字を読めなかった

11世紀から13世紀のフランスで、文学は次の三つの場で成立していた。

言語内容
教会と修道院ラテン語聖書、聖人伝、神学
城と宮廷俗語(フランス語)武勲詩、騎士物語、恋愛抒情詩
市と広場俗語語り手が旅をして回り、報酬をもらって演じる

フランス語で書かれた文学は、はじめから格下の側にあった。 格の高いことはラテン語で書く。この構図は16世紀まで続く。

そして聞き手のほとんどが字を読めない。作品は耳から入り、記憶を頼りに伝えられた。市や広場で演じたのはジョングルールと呼ばれる職業の語り手で、楽器を伴って歌った。決まり文句の反復も、単純明快な筋も、この条件から出てくる技術である。

中世フランスの主な作品

作品成立作者種類
ローランの歌1100年頃未詳
『ランスロ、または荷車の騎士』1180年頃クレチアン・ド・トロワ韻文物語(アーサー王もの)
『ペルスヴァル、または聖杯の物語』1190年頃クレチアン・ド・トロワ韻文物語(未完)
『狐物語』12〜13世紀未詳動物譚
『薔薇物語』前半1230年頃ギヨーム・ド・ロリス寓意詩
『薔薇物語』後半1275年頃ジャン・ド・マン寓意詩
形見の歌1456年頃フランソワ・ヴィヨン遺言の形をとる詩
遺言の書1461年頃フランソワ・ヴィヨン遺言の形をとる詩集

武勲詩は、集団の掟が人を殺す話だった

現存する最初のまとまったフランス語文学がローランの歌で、11世紀末の成立とされる。

もとになった史実は小さい。778年、シャルルマーニュ(カール大帝)軍がスペインから引き上げる途中、ピレネーの峠で後衛が襲われた。襲ったのはキリスト教徒のバスク人で、規模も限られている。

それが三百年のあいだに変形した。相手はイスラム教徒の大軍になり、後衛を率いたローランは裏切りによって死ぬ英雄になり、事件は異教徒との聖戦になる。十字軍の時代の価値観が、過去の出来事に遡って塗り重ねられている。

有名な場面がある。ローランは角笛を吹けば援軍が来ると分かっていながら、恥だとして吹かない。全滅が確定してから吹き、こめかみの血管が切れて死ぬ。個人の判断ではなく、名誉という集団の掟が人を殺す構造になっている。

この型の作品は百篇以上残っており、まとめて武勲詩と呼ぶ。共通するのは、主君への忠誠・一族の名誉・信仰という価値で、そこに恋愛はほとんど出てこない。

宮廷風恋愛は、恋の型そのものを作った

12世紀、南フランスでがオック語で歌いはじめる。ここで文学の主題が根本的に変わった。

型はこうである。歌い手は身分の高い既婚の貴婦人に仕える。恋は成就しない。むしろ成就しないこと、待ち続けること、その苦しみ自体を洗練させるのが目的になる。恋愛が、武勲と並んで人を高める修練として位置づけられた。これを宮廷風恋愛と呼ぶ。

この考え方は当時としてまったく新しい。今日われわれが恋愛について当然と思っている多くのこと——相手を理想化する、想いを打ち明けられずに苦しむ、恋が人を成長させる——は、ここで文学の型として作られたものである。

型は北フランスへ渡り、クレチアン・ド・トロワの手でアーサー王の物語と結びついた。12世紀後半、シャンパーニュ伯の宮廷で書いている。この作家が作った物語群から、ランスロ、ペルスヴァル、聖杯探索といった主題が出てヨーロッパ中に広がった。ドイツではパルチヴァールになり、イギリスでは後にアーサー王の死になる。

『ランスロ、または荷車の騎士』では、騎士が王妃を救うために、罪人が乗る荷車に乗るという恥辱を引き受ける。騎士としての忠誠と、個人の愛が両立しなくなる。 この主題がここで立ち上がり、以後の文学が何度も繰り返すことになる。

騎士道を歌う文学と、それを笑う文学が並んでいた

13世紀に入ると、貴族の文学とは別の系統が育つ。

騎士道の理想を歌う文学と、それを笑う文学が同時に存在していた。どちらか一方だけを見ると時代を見誤る。

ヴィヨンで、定型詩の内側に一人の個人が入った

15世紀のヴィヨンで、それまでの中世文学にはなかったものが現れる。

生涯は記録に残っている。パリ大学で学び、司祭を殺す事件に関わり、窃盗で追われ、投獄され、拷問を受け、死刑判決を受けて追放に減刑された。1463年、32歳ごろに追放されて以後、消息が完全に途絶える。

定型詩の中に持ち込まれたのは、自分自身の声だった。過ぎた時間、失われた美しさ、迫りくる死、そして絞首台。「去年の雪、いまいずこ」という一句が知られている。『絞首罪人のバラード』は、処刑されて風に揺れる自分たちの死体を、通りがかりの人に向かって語らせる詩である。まだ死んでいない男が、死んだ自分を書いている。

特別なのは、告白しているからではない。バラードや遺言状のパロディといった中世の形式を完全に守りながら、その内側に取り替えのきかない個人を入れた点にある。形式は中世のもので、中にいる人間は近代に近い。

中世が残したのは、恋愛の型と、個人の声

中身
声の文学読むものではなく演じるもの。反復や定型は技術であって欠点ではない
恋愛の発明宮廷風恋愛が、その後八百年の恋愛の語り方を決めた
二重の視線騎士道を歌う文学と、それを笑うファブリオーが並立していた
個人の登場フランソワ・ヴィヨンで、形式の内側に一人の人間が入る

最後の一つが16世紀へつながる。モンテーニュが「私自身が私の書物の素材だ」と書くまで、あと百年である。

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