枕草子
- 作者
- 清少納言
- 成立
- 1000頃
- 国
- 日本
- 時代
- 中古
概要
筋のない本である。三百ほどの短い文章が並んでいるだけで、どこから読んでもよい。一段が数行のものから、数ページに及ぶものまである。
中身は三つに分けて説明されることが多い。
一つは、ものを列挙する段である。「うつくしきもの」「にくきもの」「すさまじきもの」といった題を立て、そこに当てはまるものを次々に挙げていく。急ぐ用があるときに来て長話をする客。眠ろうとすると耳元で鳴く蚊。好き嫌いをこれだけ具体的に書き並べた本は、それまで日本になかった。
二つめは、自然や季節の観察である。春はあけぼの、で始まる冒頭がこれにあたる。何がよいかを言い切って、理由を説明しない。
三つめは、宮廷での見聞である。清少納言は一条天皇の后定子に仕えた女房だった。定子との会話、貴族たちとのやりとり、機知の応酬が記される。
読んで最初に来るのは、書き手の押しの強さである。これは良い、これは駄目、と断定する。自分が機転を利かせて褒められた場面を、隠さずに書く。同じ時代の紫式部は日記でこれを批判した。利口ぶって漢字を書き散らしているが、よく見れば足りない点がある、という趣旨である。
書かれた時期は1000年前後とされる。跋文によれば、内大臣が定子に献上した紙が余り、それを清少納言がもらって書き始めたという。人に見せるつもりはなかったが、うっかり流出したとも記されている。
書かれた時期には事情がある。定子の一家は政争に敗れ、父は死に、兄は流され、定子自身も追い詰められて若くして死ぬ。ところがこの本には、その暗さがほとんど書かれていない。 宮廷は明るく、定子は美しく機知に富む姿で書かれる。この選択を、意図的なものと見る読み方が有力である。
文学史における評価と影響
日本の随筆の出発点に置かれる。方丈記、徒然草と並べて「三大随筆」と呼ばれる。
三つのなかで、この本だけが性格が違う。方丈記は無常を説き、徒然草は世を眺める。この本は好き嫌いを言う。 思想を述べるためではなく、感覚を書き留めるために書かれている。
文学史でよく使われるのが、源氏物語との対比である。あちらは「もののあはれ」、こちらは「をかし」と説明される。しみじみと心を動かされることと、目に映ったものを面白がること。同じ宮廷の同じ時期を、正反対の感受性が書いている。
列挙という形式の影響も大きい。ものを並べて、そこに書き手の目を出す。この書き方は、後の連歌や俳諧の発想、さらに近代のエッセイにも受け継がれた。
文体の評価も高い。短く切れる文、体言止め、余計な説明を置かない書き方。理屈を書かず、見えたものを置く。この簡潔さが、日本語の散文の一つの型を作った。
近代では正岡子規の写生の主張と結びつけて論じられることがある。説明せずに事物を出す、という点で共通するためである。
内容
冒頭「春はあけぼの」。四季それぞれについて、どの時間帯がよいかを述べる。春は明け方、夏は夜、秋は夕暮れ、冬は早朝。理由は説明されず、その時間に何が見えるかだけが書かれる。夏の夜に蛍が飛ぶこと、秋の夕暮れに烏が三つ四つ二つ三つと飛び急ぐこと、冬の朝に火を熾して炭を持って運ぶこと。
「うつくしきもの」では、小さくてかわいらしいものが挙げられる。瓜に描いた子どもの顔。雀の子。二つ三つの幼児が急いで這ってきて、途中で小さな塵を見つけて指でつまみ、大人に見せる姿。
「にくきもの」では、腹の立つものが並ぶ。急ぎの用があるときに来て長話をする客。ものを羨み、身の上を嘆き、人の噂をし、少しのことも知りたがって恨む者。眠ろうとするとかすかな声で鳴きながら顔のあたりを飛ぶ蚊。
「すさまじきもの」では、興ざめなものが挙げられる。昼間の犬の遠吠え。春の網代。三、四月の紅梅の衣。除目に官職を得られなかった家の様子は、この段で最も長く書かれる。人が集まり、吉報を待ち、夜が明けて何も得られなかったと分かると、集まっていた者たちが一人ずつ去っていく。
「香炉峰の雪」の段は、宮廷での機知を示す代表的な挿話である。雪の日、定子が「香炉峰の雪はどうか」と問う。清少納言は答えず、御簾を高く上げる。白居易の詩に、香炉峰の雪は簾を撥げて見る、とあるのを踏まえた振る舞いである。その場の全員が意味を理解する。
このほか、宮廷の年中行事、寺参り、道中の情景、男女のやりとりなどが記される。日記的な段は年代順には並んでおらず、配列は写本によっても異なる。