肝っ玉お母とその子どもたち

原題
Mutter Courage und ihre Kinder
作者
ベルトルト・ブレヒト
成立
1941
ドイツ
時代
20世紀前半

概要

1939年に書かれ、1941年にチューリヒで初演された戯曲である。副題は「三十年戦争の年代記」。

舞台は、17世紀ヨーロッパを荒廃させた三十年戦争(1618-1648)である。主人公アンナ・フィアリング、通称「肝っ玉お母(クラージュ)」は、幌馬車で軍隊について回り、兵士相手に酒や食料や日用品を売る、たくましい商人の女である。戦争を、生計の手段として利用する。 戦争があるからこそ、商売が成り立つ。

だが、その戦争は、肝っ玉お母から、三人の子ども——二人の息子と、口のきけない娘——を、一人また一人と奪っていく。戦争で儲けようとする母が、その戦争によって、すべての子を失う。 この皮肉が、作品の核心にある。

この作品は、ブレヒトの叙事的演劇の理論を体現する。観客を物語に感情移入させるのではなく、距離を置いて、批判的に見させる。この効果を、ブレヒトは「異化効果(Verfremdungseffekt)」と呼んだ。

ブレヒトは1898年の生まれ。マルクス主義の立場に立つ劇作家・詩人である。ナチスが政権を握ると、亡命し、各国を転々とした。

この作品は、1939年、亡命先のスウェーデンで、わずか数週間で書き上げられた。第二次世界大戦が、まさに始まろうとしている時期である。戦争が、いかに一部の者に利益をもたらし、多くの者を破滅させるか。その認識が、この作品を生んだ。三十年戦争という過去を舞台にしながら、迫りくる新たな戦争への警告が込められている。

素材には、17世紀のドイツの小説家グリンメルスハウゼンの作品に登場する、同名の女商人がある。ブレヒトは、この人物像を借りて、独自の作品を作り上げた。

初演は1941年、中立国スイスのチューリヒで行われた。ブレヒトの意図とは、逆の反応が起きた。 観客は、子を失う母の悲劇に、深く感動し、同情した。ブレヒトは、肝っ玉お母を、戦争から利益を得ようとして子を失う、批判されるべき人物として描いたつもりだった。だが観客は、この主人公を、悲劇のヒロインとして受け止めた。この反応に不満だったブレヒトは、後の上演のために、台本に手を入れ、主人公への同情が生じにくいように改訂した。

文学史における評価と影響

叙事的演劇の代表作として、20世紀演劇に大きな影響を与えた。ブレヒトは、従来の演劇——観客を舞台の世界に引き込み、感情移入させる演劇——を批判した。感情移入は、観客を思考停止させ、現実を変える力を奪う、と考えたのである。

代わりにブレヒトが目指したのが、異化効果である。観客が、舞台の出来事を、当たり前のものとしてではなく、奇異なもの問い直すべきものとして見るようにする。そのために、さまざまな手法が用いられる。各場面の冒頭で結末を予告し、感情の高まりを削ぐ。歌を挿入して物語の流れを断ち切る。俳優は、役に完全になりきるのではなく、その役に対して距離を保つ。観客を、感動する者ではなく、考え、批判する者にする。 これが、叙事的演劇の狙いである。

主題としては、戦争と経済の関係が中心にある。戦争は、肝っ玉お母のような小商人にとって、生計の手段である。だが、その同じ戦争が、肝っ玉お母から子を奪う。戦争で儲けようとすることが、結局は自らを破滅させるという認識が、作品の骨格をなす。誰が戦争から利益を得て、誰が犠牲になるのか。この問いを、観客に突きつける。

初演での観客の反応と、ブレヒトの意図の食い違いは、この作品をめぐる有名な論点である。批判的に見せようとした人物が、同情の対象になってしまう。 異化効果が、常に意図通りに働くとは限らないことを、この事例は示している。

日本でも、新劇の重要な演目として上演されてきた。訳も複数ある。

あらすじ

1624年、三十年戦争のさなか。肝っ玉お母は、幌馬車を引いて戦場を渡り歩き、商売をしている。三人の子がいる。勇敢な長男アイリフ、正直者の次男シュヴァイツァーカース、そして口のきけない娘カトリン。

物語は、十二の場面を通じて、十二年の歳月をたどる。各場面の冒頭には、これから起こることを予告する短い説明が掲げられる。観客は、結末を先に知らされたうえで、その過程を見る。

商売に気を取られている隙に、長男アイリフは、軍にスカウトされて連れて行かれる。肝っ玉お母は、息子を兵隊に取られる。アイリフは、戦場で、農民から家畜を奪う「武勇」によって、英雄として讃えられる。だが、後に、休戦中に同じことをして、今度は略奪として処刑される。戦時には英雄、平時には犯罪者。 同じ行為が、状況によって正反対に扱われる。

次男シュヴァイツァーカースは、正直者で、軍の会計を任される。敵軍が攻めてきたとき、預かった軍の金庫を守ろうとして、捕らえられる。肝っ玉お母は、賄賂で息子を救おうとする。だが、わずかな金額を惜しんで、値切っているうちに、息子は処刑されてしまう。 商人の習性が、母から息子を奪う。処刑された息子の遺体を見せられても、肝っ玉お母は、身の危険を避けるため、「知らない」と言い張らなければならない。

娘カトリンは、口がきけない。ある夜、敵軍が、眠っている町を奇襲しようとしていることを知る。町には、子どもたちが眠っている。カトリンは、危険を顧みず、屋根に登って、太鼓を打ち鳴らす。言葉を持たない娘が、太鼓の音で、町の人々に危険を知らせる。 兵士たちに撃たれても、打ち続ける。町は救われるが、カトリンは撃ち殺される。

三人の子をすべて失った肝っ玉お母は、それでもなお、商売をやめない。娘の亡骸のそばで、幌馬車の代金を数え、再び馬車を引いて、戦場を追っていく。 戦争が続く限り、商売も続く。何も学ばず、変わることなく、幌馬車を引いて去っていく肝っ玉お母の姿で、劇は終わる。

作者

登場する文学史