プロレタリア文学とは? 労働者の側から書き、国家と衝突した文学
- 発祥
- ロシア
- 年代
- 1917–1940
プロレタリア文学は、労働者の側から社会の矛盾を書き、文学を社会を変えるための手段と位置づけた運動である。「プロレタリア」とは、財産を持たず、自分の労働力を売って暮らす階級——工場労働者や小作農——を指す。1917年のロシア革命が、国際的な起点になった。
この運動が生まれた背景
19世紀に産業革命が進むと、都市の工場に大量の労働者が生まれた。長時間労働と低賃金にあえぐ人々である。だが当時の文学は、書き手も読者も、教養と財産のある層に属していた。労働者は、自然主義のジェルミナールのように「描かれる対象」ではあっても、自分たちで書き、自分たちで読む文学の担い手ではなかった。
考え方の土台になったのがマルクス主義である。歴史は、財産を持つ階級と持たない階級の争い(階級闘争)によって動く、とマルクスは論じた。この見方に立てば、文学もまた中立ではありえない。どの作品も、どこかの階級のものの見方を担っている。ならば、労働者の側に立ち、その闘争に役立つ文学がありうるはずだ——こうしてプロレタリア文学の構想が生まれた。
決定的だったのが1917年のロシア革命である。労働者の側が、初めて国家の権力を握った。それまで構想でしかなかった「労働者の文学」が、国家が後押しする現実の事業になる。ロシアが国際的な中心になり、運動は国境をまたいで各国へ広がった。
ロシアとドイツの作家
ロシアのゴーリキーは、革命前から下層の生活を書いた作家として、革命政権に迎えられた。ショーロホフは、革命と内戦に巻き込まれるドン地方のコサックを大長篇『静かなるドン』に描いた。詩ではマヤコフスキーが、街頭で朗読するための力強い革命詩を書いたが、革命後の現実に幻滅し、1930年に自殺している。
ドイツではブレヒトが「異化効果」という方法を作った。観客を物語に感情移入させず、舞台の出来事をわざと距離をとって見させる。目的は、いま目にしている社会の仕組みを、当たり前のものではなく、変えられるものとして観客に意識させることにある。演劇を、社会を分析する装置にしようとした試みである。
国家の文学になる
1934年、ソ連は社会主義リアリズムを創作の公式方針に定めた。現実を、社会主義へ向かって発展していく姿として描き、分かりやすく前向きに書くこと——これが作家に求められた。革命を機に国家の事業になった運動が、ここで国家の制度になる。ゴーリキーはその旗頭に据えられた。
ここに、この運動の逆説がある。労働者を抑圧から解放するために始まったはずの文学が、ソ連では逆に、国家が作家を統制する道具になった。方針から外れた書き方は許されず、多くの作家が沈黙するか、収容所へ送られた。解放の文学が、統制の文学に反転したのである。
日本では、文学が命に関わった
日本では、1921年の雑誌『種蒔く人』を出発点に運動が始まり、1920年代の後半に高揚した。作家たちは団体を作って組織的に活動し(全日本無産者芸術連盟=ナップなど)、機関誌『戦旗』を拠点にした。代表作が小林多喜二の蟹工船(1929年)である。蟹を獲って缶詰にする船の上での過酷な労働と、労働者が団結していくまでを描いた。特定の主人公を立てず、船全体を主役にした点でも新しかった。
だが弾圧も激しかった。多喜二は1933年、思想犯を取り締まる特別高等警察に検挙され、その日のうちに死亡した。拷問によるものとみられている。以後、多くの作家が、自分の思想を捨てると表明させられた(転向)。文学が実際に生命に関わる時代が、この国にもあった。理性の解放を掲げた同時代のシュルレアリスムも、同じ弾圧を受けている(日本近代)。